深き海より、蒼き樹々の呟き

by 深海 蒼樹(ふかみ そうじゅ)

*

傷つくこと、傷つけることへの、ほんのひとりごと(多少の反省をこめて)

      2013/09/11

 昔々、と言っても、今でもそう思っていることではあるんだけれど、人と人が暮らしていくのはとても難しく、人はいつだって誰かに傷つき、そして誰かを傷つけている。

 僕が、まだまだ子供だった頃、まったくの手加減なしに、僕は両親に心ない言葉を吐きつづけていたように思う。勿論、僕は僕で、両親の言動に傷ついてはいたのだけれど、だからと言って、僕が彼らに投げつけたひどい言葉の数々が許されるとは思えない。そうだ、そんな言葉が許されるはずがない。それは、悪意に満ちて、汚く、ずるく、彼らを傷つけるためだけに用いられた言葉だった。おそらく、そのいくつかは、今も彼らの胸に、深く突き刺さったままかもしれない。

 僕がまだまだ若く、所謂、肩書きのない部下という立場に甘んじた平社員だった頃、上司の言動にしばし傷ついた。そして、反発もした。勿論、僕にだって、『義』はあった。と言うよりは、自分に『義』があると思えるからこそ、強く反発もしたし、上司と言えども見下した態度をとったり、揶揄したりもした。

 しかし、僕の放つ言葉に、なんら『義』がないときや、度を越した場合があったのも事実だ。
 自分の思った通りにものごとが進まなかったことへの苛立ちや、怒り。突然のアクシデントや想定外の出来事にうまく対応できなくて、どうしていいかわからない僕は、やり場のない感情をもてあまして、僕以外のものに責任を転嫁する。それは、僕自身に、自分の未熟さや人間的偏狭さを棚上げしようという明確な意志があったわけではない。
 とは言え、それらは紛れもなく八つ当たりであり、腹いせであり、責任のなすりつけだった。時に、『義』や『仕事』という仮面をかぶせ、その醜い中身が見えないようにカモフラージュしながらも、ただただ相手を傷つけることだけのために、それがより深く刺さることだけを計算して、僕は言葉を放った。うまく突き刺さって相手の痛みが感じられれば、僕の胸は少しは楽になった。僕自身に、かすかな痛みが、なかったわけではないけれど。

 そんな醜い僕も、いつしか、親になり、そして、上司にもなった。なってみたからわかったというような、単純なことでもないのだけれど、そのことはひとまずは置いておこう。

 子供は、親の言葉に傷つく。
 親だって、子供の言葉に傷つく。子供の幼い言葉なんかに、大人である親は傷つかないと思ってた?

 上司の態度やデリカシーのなさに、部下は傷つく。
 部下の反発や言うことのきかなさに、上司は傷つく。立場上、力をもってるのは上司だし、ずいぶん年上だから、傷つかないと思ってた?

 それは、『仕事』だからとか、『産んだ責任』だとか、そういうことではないところで、いくらそう言い聞かせても、人は傷つき、打ちひしがれる。
 あなたが傷ついたように、相手も傷つくし、あなたが傷ついたことで、相手を傷つけることだってある。

 それは、ある意味、どうしようもないことなのかもしれない。どんなに配慮のある言葉にも、時に、人は傷つく。その用意周到に準備された配慮の完璧さにさえも、人は傷つくことができる。

 だから………、誰かが傷ついたとしても、それは放っておくしかないことがあるし、僕は、自分が傷ついたときには自分を放っておくことにしている。
 そんなことで、わざわざ傷つかなくていいと、言い聞かせる。自分だって、相手を傷つけたかもしれないと反省しながら。だって、人が傷つくとか傷つかないっていうことと、どっちに『義』があるとか、どっちが正しいとかってこととは、正確にリンクしているわけではない。

 どんな人だって、傷つくし、どんな人だって、誰かを傷つけている。
 それは、どんな人だって、寂しいということと似ているかもしれない。

 - ひとりごと, 雑感

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