深き海より、蒼き樹々の呟き

by 深海 蒼樹(ふかみ そうじゅ)

*

ゼルダ・フィッツジェラルドについて(1)

      2014/04/06

ゼルダ・フィッツジェラルドって?

 僕が、ゼルダ・フィッツジェラルドなる人物に興味をもったのは、というか、この世にゼルダ・フィッツジェラルドという女性が存在したということを知ったのは、漫画雑誌である、ビッグコミック’スピリッツ’の巻頭にあった特集記事を読んだのがきっかけだった。
 その時、僕は、まだ10代だったと思う。
 そして、特集記事のタイトルは、
  『アメリカを代表する女性たち』
みたいな感じのものだったように記憶している。

 ついでに書くと、この中で、もうひとり強く記憶に残っているのが、ジャニス・ジョプリンだ。
 所謂、初代ロックの女王、ブルースの女王とか呼ばれる人物で、ライブでは『乳首をおっ立てろ!』とシャウトするなんてことが書いてあったし、学生時代の彼女は「公衆便所」とあだ名されながらも、誰とでも寝ることをやめなかったという。それは、ルックスに対するコンプレックスのなせるワザであり、彼女は誰とでも寝ることによって、「私は、男たちが、こんなヤツとは寝たくもないと思うほどのブスではない」と、自身を納得させていたという。
 ジャニスが、歌手として成功してから、地元の学校の同窓会に出席したときのドキュメンタリービデオというのがある。それは、市販されていて、我が家にもあるのだけれど、とても複雑なドキュメンタリーだ。
 ジャニスには、あれだけ自分を醜いと蔑んできたかつての友人たちに、成功者としての自分を見せつけたいという気持があったし、友人たちにすれば、「あのジャニスが…」という反発心と、今や成功者となった友人と仲良くなりたいというミーハーな心もあり、とても複雑で、でもなんだか気が滅入るような、悲しいドキュメンタリーだ。

 話を、ゼルダに戻そう。
 ゼルダ・フィッツジェラルドとは、どんな女性か。
 おそらく、あのスコット・フィッツジェラルドの奥さんという説明が、もっとも簡単でわかりやすいかもしれない。
 F・スコット・フィッツジェラルド(Francis Scott Fitzgerald)。世間的知名度から言って、わざわざスコットとゼルダを区別する必要があるのかというと、大抵の場合その必要はないわけで、フィッツジェラルドと言えば、スコットを指すのが当然となっている。

スコット・フィッツジェラルドって?

 日本では、今年(2013年)の6月に、レオナルド・ディカプリオ主演によって『華麗なるギャッツビー』が公開される。
 『グレート・ギャッツビー』『偉大なるギャッツビー』とも訳されてきた、所謂、”The Great Gatsby”。その20世紀を代表する名作と言われる小説を書いたのが、スコット・フィッツジェラルドだ。
 フィッツジェラルドが、村上春樹氏のフェイバリットであることは、今さら言うまでもないだろうか。

 彼が発表した長編小説だけを書き出して、とても簡潔なバイオグラフィーを作ると、こんな感じになる。

    1896年 ミネソタ州に生まれる
    1919年 『楽園のこちら側』でデビュー。いきなり全米のベストセラー上位に入る
    1922年 『美しく呪われたもの』出版
    1925年 『グレート・ギャッツビー』出版
    1934年 『夜はやさし』出版
    1940年 心臓発作で急死。享年、44歳
    1941年 没後に、未完小説『ラスト・タイクーン』出版
 勿論、スコットは、長編小説以外に無数の短編小説を書いている。それは、生活のために書かれた小説であり、夜遅くに書きはじめて一睡もせずに朝には書き上げられたものもあると言われ、そのクオリティについては、あちらこちらで「玉石混淆」と評されている。
 ただし、わざわざ日本語に翻訳されたものは、「玉石」の中の「玉」と評価されたものであるわけで、敢えて「石」と評されるような短編を読むとなると原典をあたるしかないのかもしれない。

 ちなみに、僕の大好きな短編小説は、『ホテルほど大きなダイヤモンド』『リッツほど大きなダイヤモンド』『リッツホテルくらい大きなダイヤモンド』と、邦題はいろいろな訳され方をしているけれど、要は、“The Diamond as big as the Ritz”だ。

とても短いゼルダのバイオグラフィー

 スコットと同じように、ゼルダについても簡潔なバイオグラフィーを作ってみよう。

    1900年 アラバマ州モントゴメリーに生まれる
    1918年 陸軍少尉としてキャンプ・シェリダンに駐屯していたスコットと出会う
    1920年 スコットと結婚
    1921年 長女(スコッティー)出産
    1930年 スイスにて精神病発症 入院
    1931年 退院 帰国
    1932年 病気再発 長編小説『ワルツは私と』出版
    1934年 入退院を繰り返す
    1948年 入院中の病院の火災にて焼死 享年48歳
 彼女が書き上げた小説は、長編小説『ワルツは私と』の一作と、10編余りの短編だけだ。では、その小説がスコットのようにベストセラーになったかというと、まったく売れなかった。Wikipediaによると、当時の販売部数は、1392部。残念すぎるくらい、まったく売れていない。
 当時は売れなかったけれど、現在は再評価されているのかというと、そういうわけでもない。
 村上春樹氏の言葉を引用すると、こうだ。
「たとえは悪いかもしれないけれど、この小説は僕に体のバランスを崩したまま、 ほんとうの気持だけでライト前にボールを持っていく野球のバッターを思わせる。あるいはところどころでミスをしたために点数は低いけれど、その大胆さで観客の心を動かすフィギュアスケートの選手を思わせる。これはうがった見方かもしれないけれど、ゼルダはその作品のバランスの悪さゆえに、彼女の本当の生の気持を、我々に叩きつけることに成功しているとも言えるのである」
      村上春樹 『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』 p.151より

 では、ゼルダとは、なにものだったのだろう?
 その答えは、
10代は、「アラバマ・ジョージアの2州に並ぶ者無き美女」と謳われ、売れっ子作家のスコットと結婚し、1920年代最初のフラッパーとして時代の注目を集めたが、その後結婚生活は破綻、精神病を発症し、書いた本は売れず、不運にも入院中の病院の火災によって亡くなった、スコット・フィッツジェラルドの妻。
ということで、いいんだろうか?
 勿論、それでいいなら、僕はこの文章を書きはじめなくてもよかったはずだ。

 というわけで、(・・・つづく)

ゼルダ・フィッツジェラルドについて(2)

 - ゼルダ・フィッツジェラルド

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