深き海より、蒼き樹々の呟き

by 深海 蒼樹(ふかみ そうじゅ)

*

羊と僕と王国の譚(7)

      2013/09/11

 王国に、完全な夜が訪れなくなって、かなりの時が過ぎていた。
 なぜなら、姫の羊が逃げたのだ。民たちは、いつまでも眠ることを許されず、疲れ果てはじめていた。
 ずっとずっと大昔から、先祖代々受け継がれてきた羊は20匹。今は、国王が11の羊を数え、王妃が10の羊を数え、王子が6の羊を数え、そして、姫が3の羊を数える。すると、王国は完全な夜の闇に包まれ、民たちは眠りにつくのだ。門番の夜兵と、王と王妃だけを残して。それが、この王国の習わしだった。
 しかし、姫が数える羊が1匹、姫が数える前に逃げ出してしまった。そんなことは、この王国の長い歴史の中でも、一度もなかったことだ。そもそも、羊が逃げるなんて、誰も想像もしたことがなかった。おそらく、逃げた羊にしても、まさか自分が逃げ出せるなんて、思ってもなかったのではないだろうか。

 いつまでも完全な夜が訪れず、民たちが寝静まっていないことに気づいた国王は、
 「羊は、数え終わったか?」
と、隣りの天蓋付きのベッドにいる王妃に尋ねた。
 王妃は、
 「ごめんなさい。いつもより早くに数えました。だって、早く夜になってほしかったから…」
と、頬を赤らめて答えた。
 王は、寝室の隠し戸の瓶の中に、お抱えの魔女に作らせた精力剤が残っていたことを思い出し、ほんの少し嬉しそうに笑った。
 「では、王子がまだ数え終わっておらんのかな?」
 妃の気持ちが変わらぬうちにことを進めたい王は、急いで王子の眠る子供部屋に向かった。
 「まだ、羊を数えておらんのか?」
 ドアをノックしただけで、部屋の外から怒鳴るように、王は言った。
 「私は、すでに、父、母の言いつけ通りの時間に、数え終えております」
 ちょっとばかり、融通の効きの悪い王子が、生真面目に答えた。
 では、残るは、かわいいかわいい姫が、羊を数えるのをおろそかにしているということか。いつまでもベッドの上で絵本に夢中で、羊を数えるのを忘れているのかもしれない。
 姫にせがまれて、まだ早いと思いながらもついつい姫専用の子供部屋を与えたが、自分は姫を甘やかしすぎなのかもしれない。
 王は、姫の部屋のドアをノックした。
 返事が、なかった。
 一瞬、すでに寝たのか、と思ったが、そんなはずはない。夜が完結されていないのだ、眠れるはずがない。
 王は、もう一度、ドアをノックした。
 またしても、返事はない。王は、耳をドアにつけて、中の様子に聞き耳を立ててみた。
 姫の、かわいらしい声が、分厚いドア越しに聞こえた。
 「羊が1匹、羊が2匹、羊が…、羊が1匹、羊が2匹、羊が…」
 どうしたのだ、早く、3匹めを数えればいいではないか、なにをしておる。
 姫は、今では数を100まで数えられるはずだ。3という数を忘れるわけもない。どうしたというのか。
 「羊が1匹、羊が2匹、羊が…、」
 呪文のように同じことの繰り返しが聞こえてくる。しかも、王のノックも聞こえないほどに、姫は夢中で羊を数えようとしている。
 思い切って、王は、ドアを開け、上品なピンク色で統一された姫の部屋に入った。姫は、すでにベッドの中にいた。
 そうだ、姫は、今夜も私たちにおやすみのキスをしたのち、自分の部屋に帰っていったのだ。妖精のようなふわふわとした、ピンク色のパジャマがよくお似合いだった。頭には、おやすみ用に、パジャマとコーディネートされたカチューシャをつけていた。
 ベッドに近づくにつれ、姫の声が、涙声であることがわかってきた。王は、その声に、いたたまれなくなって、姫のいるベッドに駆け寄った。
 「どうした?」
と、王が聞く前に、王の姿にやっと気づいた姫が涙ながらに言った。
 「お父様、羊が、羊が1匹、いなくなっちゃったの」

つづく…羊と僕と王国の譚(8)

 - 物語みたいなもの, 羊と僕と王国の譚

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