深き海より、蒼き樹々の呟き

by 深海 蒼樹(ふかみ そうじゅ)

*

クリスマスの夜だから、ジョン・レノンについて語ろう(とりあえず、2012ヴァージョン)

      2013/09/11

 夕方のニュース番組を見ていたら、ジョン・レノンのHappy Christmas – War is Overが、流れていた。毎年のことだし、それ自体はなんら珍しいことでもなくて、聞き流すつもりだったのに、ふと自分でも意表を衝かれて、涙がこぼれそうになった。
 だから、とりあえず、書かないよりは書いた方がいいの法則に従って、今年は書いておこうと思う。
 僕の、ジョン・レノンについて。

 正直に言って、ビートルズで一番偉いのは、ポール・マッカートニーだと思っていた。中川に出会う、高校1年生までは。
 だって、僕は1963年生まれで、ビートルズの日本公演は1966年、そして、ビートルズの解散は1970年だ。僕がピカピカのランドセルを背負って、大阪で開かれた万博に夢中になっていた頃、どうやらビートルズは解散というか、実質的に活動しなくなっていたようなんだけれど、今に至っても詳しくは知らない。ましてや、鼻水たれ放題だったそんな小学1年生の僕が、ビートルズの「ビ」の字も知るはずがない。
 ちなみに、この年の11月には、所謂三島事件が起き、市ヶ谷の駐屯地において作家の三島由紀夫が割腹自殺を遂げているが、僕にはまったく記憶がない。
 まぁ、普通、そうなんじゃないのかな? ビートルズの解散よりも、三島由紀夫よりも、万博のアメリカ館にあった「月の石」の方が魅力的だったし、万博で見た「外人」のおねぇさんの方が、僕にとっては大事件だった。

 僕がビートルズを知ったのは、中学生になってからだった。それが僕らの世代的なものなのか、僕らの生まれ育った地域的なものなのか、定かではないのだけれど、中学生になるとFMラジオ付きラジカセを買ってもらえて、そのうち歌謡曲を卒業して、フォークやその頃言われだしたニューミュージックとやらも通り越して、「洋楽」とやらを聴きはじめる。
 その洋楽の世界に足を踏み入れるときに、大抵の者がこのビートルズの洗礼を受けたものだった。
 最初に僕にビートルズを教えてくれたのは、中学の同級生の横山だった。彼にはビートルズ好きな兄貴がいて、横山自身もビートルズの虜となり、自らをポールになぞって、同級生4人でビートルズを再結成し、ところかまわず、授業中にもかまわず、彼らはよくビートルズナンバーを歌っていた。練習不足は明白で、お世辞にもうまいとは言えなかったけれど、よく笑わせてはくれた。
 なにしろ、彼らは律儀にも普段からお互いのことを、『ポール』だとか『ジョン』、『ジョージ』『リンゴスター』と呼び合ってまでいたのだから。

 横山は親切なヤツで、僕にも惜しげもなくビートルズのレコードを貸してくれたし、カセットテープをつけて頼めば、そのカセットに録音してきてもくれた。そして、もちろん、収録曲のタイトルは、カタカナで書いていた。だって、英語で書いても読めないのだから。

  • イエスタデイ
  • ヘルプ
  • イエロー・サブマリン
  • ア・ロング・アンド・ワインディング・ロード
 そして、コピー機なんて便利なものすらまだなかった時代だったから、歌詞は、ひたすら、手書きで写すしかなかった。大抵の場合、意味もわからないし、途中で放り出してしまうんだけれど。

 僕の曖昧な記憶に基づいて、敢えて書くなら、僕らが高校1年生だった頃、ジョン・レノンは、育児休暇中だった。そして、久々に音楽活動を再開し、「ダブル・ファンタジー」というアルバムを出すということだった。
 中川は、かなり興奮していた。授業中に、こっそり聴いているはずのFMラジオは、中川がジョンの曲に合わせて体でリズムをとり、鼻息が荒すぎて、誰の目から見てもバレバレだった。
 ちなみに、中川は、草刈正雄似の男前だった。初対面のとき、僕はこんな男がほんとにこの世にいるのかと驚いたくらいの、男前だ。まるで、漫画から抜け出してきたような、まさに絵に描いたような男前だった。
 そして、もう少し中川について語るなら、ヤツは50メートル走がずば抜けて遅かった。ふざけてるのかっていうような、見事な女子走りなフォームで、女子よりも遅い。なんてヤツだ。
 しかも、極度の寒がりで、制服の下にジャージの上下を着て、制服の上にウインドブレーカーを着て、マフラーして手袋して、高校の正門までの1キロあまりの上り坂をひたすら自転車で登ってきても、寒いと嘆いていた。普通、それだけ着込んで自転車立ち漕ぎすれば、汗だくになるはずだろ。
 まぁ、足が遅いのと、極度の寒がりなことを割り引いてあまりあるほど、中川は男前だった。仕方がない、素直に認めよう。中川は、僕の数百倍もてた。ただし、お互いに自転車通学だったし、僕らの学校は山の上にぽつんと建った男子高だったし、幸いにも、僕と中川の実力差を思い知らされることはほとんどなかった。

 あの頃、ラジオからは『ダブル・ファンタジー』の代表作、

      (Just Like)Starting Over
      Woman
      Beautiful Boys
が、よく流れていた。
 FMラジオは、連日ジョンの特番を組み、世界中が彼の音楽活動再開を心待ちにしていたのがわかった。

 そして、実感としてはよくわからないけれど、あの頃、オノ・ヨーコは、嫌われていた。
 誰にって? ジョンのファンに。
 『ダブル・ファンタジー』の半分の曲は、ヨーコの楽曲だ。あの頃、音楽媒体はレコードか、カセットテープだった。にもかかわらず、多くの人々は、わざわざヨーコの曲を飛ばして、アルバムを聴いていた。僕はいちいちレコードプレーヤーを操作するのが面倒だったのでそんなことはしなかったけれど、さすがにKiss Kiss Kissだけは、ご近所に漏れては大変なので飛ばしていた。
  kiss kiss kiss, kiss me love 抱いて
というのが、繰り返される歌詞だったと思う。「抱いて」の部分は歌ってなくて、お願いしている。しかも、曲の終盤にはのぼりつめるヨーコの声がつづくのだ。こんなもんを、ご近所さんに大音響でお届けするわけにはいかない。
 「最近、三味線がうまくなりはりましたなぁ」
と、僕のギター絶叫弾き語りが三味線に聞こえるほどの耳をもつ、お向かいの田中のおじいさんだって、このヨーコの艶かしい声はまずいはずだ。

 これは、根拠のないものだけれど、やっぱり、世界からすれば(ヨーロッパやアメリカからすれば)、わけのわからないアジアの国の女性にジョンをとられて、ジョンはヨーコにいれあげて、挙げ句の果てには、音楽活動を休止してしまうし、なんてこったっていう怒りがあったんだろうか。とりあえず、ジョンが我々の望むようなことをしてくれないのは、すべてヨーコのせいだと。
 確かに、ヨーコのオリエンタルなモノクロのトーンよりも、リンダ(ポールの奥さん)の方が色っぽかったし、わかりやすいように思えた。至極単純に言えば、ジョンは暗くて、ポールは明るい。ジョンは理屈っぽくて、ポールは理屈抜きで楽しい。そんな感じ。それが奥さん選びにもそのまま出てた感じ。

 中川の興奮が伝染したかのように、にわかにジョン・レノンのファンになった僕も、なんだか熱に浮かされているような気分だった。
 あの、ジョンが、ついに、戻ってくる。みたいな。
 ジョンが戻ってきたからには、またなんかやらかしてくれるぞ。みたいな。
 ひょっとしたら、ビートルズ再結成もほんとにあるかもしれない。みたいな。
 とにかく、ジョンがまた僕らが聴いたこともなかった新しいもの(新しい価値)を生み出しはじめたぞ。みたいな。

 あの日、突然の訃報を知るまで。
 中川と僕ののぼせあがるほどの熱に、冷や水を浴びせかけるように、それは起こった。
 僕らは、ただただ言葉を失って、呆然とするしかなかった。この世界で、そんなことが起こりうるなんて、16歳の僕らに想像できるはずもない。
 その訃報を、僕らはそれぞれ、自宅で知ったはずだ。だけど、僕の頭の中にあるのは、こんなイメージだ。
 ジョンの曲に合わせてリズムをとっていた中川の体は、リズムを刻もうと足を浮かしたまま、ピタっと止まった。
 「中川、おまえの言う通り、ジョンってすごいなぁ」
と言いかけた僕の笑顔が、ただ顔に張り付いて、凍り付く。顔は笑ったままなのに、底なしに悲しい。

 無口だった中川は、いっそう無口になって、いつも不機嫌そうに教室の窓から外を眺めていた。
 クリスマスの朝、枕元にプレゼントがないことを知ったときの、あのイヤな気分がいつまでもいつまでもつづいた。
 そして、その年から、クリスマスにはジョン・レノンが溢れたけれど、僕らは、待ちに待ったサンタクロースが、もう二度と来ないことを知った。来年になっても、そのサンタはもう来ない。

 Happy Christmas, John!
あれから、32年、やっと書けたよ。

 - 雑感

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