深き海より、蒼き樹々の呟き

by 深海 蒼樹(ふかみ そうじゅ)

*

神戸を歩きながら、デタッチメントもしくは村上春樹について考える1

      2013/09/11

 2012年の8月の終わり、僕はランチタイムを挟んで6時間ほどを、神戸で自由に過ごせるシチュエーションを手に入れた。 大阪で生まれ育った僕は、異人館やメリケン波止場といった有名どころでデートしたことはあるけれど、神戸の街に詳しいわけではないし、ましてやひとりで街歩きをしたことはなかった気がする。
 どちらかと言えば、京都には高校生のときから親近感があって、ジャズ喫茶を探して通ったりしたのは、神戸ではなく京都だった。多分、神戸のおしゃれなイメージが、自分には似合ってないと思って敬遠してたのかもしれない。

 ある時期まで、村上春樹はデタッチメントを描く作家であったはずだ。
 そう、彼がデビューした、「風の歌を聴け」にしても、「僕」のデタッチメント具合が心地よくて、僕らは村上春樹を歓迎したはずだ。

 誰にも迷惑をかけずに、生きていくこと。
 それは、できれば誰にもかかわらずに、最低限のかかわりの中で生きていくことだったし、かかわってくるものは一様に「迷惑」だと宣言しているようなものだった。
 初期の村上春樹の作品が、「素敵な」人たちだけの「素敵な」暮らしを描いた、リアリティーのない小説なんていう批判を受けていたが、僕たちは小説に厳密なリアリティーを求めてはいなかったし、心地いい世界を提供してくれれば、それでよかった。

 花隈公園の駐車場に車を入れて、メリケン波止場にあるポートタワーまで歩いた。向こう岸には、モザイクの建物と観覧車が見えるし、振り返れば、海洋博物館の巨大オブジェ風の建物も見える。神戸らしい写真が一枚とりたくて選んだ、誠に神戸らしい一角だ。
 しかし、朝から天気がよくなくて、青い空に映えるポートタワーや、観覧車を期待していたのだけれど、曇天を背にそびえたつポートタワーは、ひどく時代がかった代物に見えて、大阪生まれの僕には通天閣の神戸ヴァージョンみたいにも見えてしまう。
 たとえ僕にはそう見えたとしても、それでも、ポートタワーはポートタワーだ。そう思って、僕はシャッターを切った。そんなはずはないんだけれど、ポートタワーは写真慣れしていない女性を連想させるように、どこかぎこちなくソワソワしたような感じで、僕の写真に収まった。
 鼻腔に突き刺さる、運河を満たした海水の潮の香りが、僕に強烈なリアリティーを感じさせた。つまり、それはあまりに強すぎて、迷惑な匂いだったってことだ。

つづく…神戸を歩きながら、デタッチメントもしくは村上春樹について考える2

 - 村上春樹, 物語みたいなもの

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