深き海より、蒼き樹々の呟き

by 深海 蒼樹(ふかみ そうじゅ)

*

そうか、こんな夜は『中国行きのスロウ・ボート』を読み返すくらいがいい

   

 正直に言えば、特に村上春樹が読みたくなったわけではない。僕は自然言語の形態素解析プログラムを書いていた。そこで頻出単語をカウントするのに適当な文章はないかと物色していたところ、たまたま手近にあったのが村上春樹の文庫本だっただけの話だ。はなはだ彼にとっては迷惑な話かもしれない。
 迷惑ついでに付け加えるなら、僕は昔ほど村上春樹に魅力を感じなくなってきた。まぎれもなく余計なお世話だ。
 「キミのためを思って敢えて言うんだよ」とか、「大好きなこのお店がもっといいお店になってほしいから心を鬼にして言うのよ」とか、まぁそんなたぐいのアレだ。
 なんていうか、変わってないんだ。ずっと変わってないわけではない。彼だって変わった。僕も変わった。でも、ほんとうにどこへも行けないのだ。もちろん、それはなにも彼のせいではない。むしろ彼は「どこにも行けない」ことを僕らに教えてくれていたのだから。ずっとこうなる以前から。
 時代は変わった。当たり前だ。いいように変わったのか悪いように変わったのか、それは人それぞれの判断に委ねるしかないにしろ、いろんなものが変わった。なのに、なんだか変わらない人がいる。ただそれだけの話だ。

 10代の終わりくらいから外国の短編小説を好んで読むようになった。いちいち洒落がきいて嫌味たっぷりな物言いや、おおげさな身振り手振りが心地よかった。読めもしないのにバカ高い”The New Yorker”を買ったりもしたし、缶ピースがこの世で一番おいしいと思いながらもMarlboloを咥えて気取ってみたりもした。そして村上春樹を読んだ。どれもが心地よかったし、時には「へぇーっ」とニヤつきながらページをめくった。先を知りたいと思いながらも、読み進めるほどに残りのページが少なくなっていくのが悲しかった。

 久しぶりに彼の37年前の文章に触れた。結果的に塗りたくってしまった化粧のようなやりすぎ感と、現実の世界で口にするにはむかない台詞たちが、やけに白々しい世界を作り上げている。
 こんなものだったろうか。
 そんなものかもしれない。
 何度も言うように、どこにも行けないことは、僕だってわかっていたはずだ。誰かが悪いという話でもない。あらためてまた村上春樹に出会えたようで、気分としては悪くない。どちらかと言えばいいほうだ。

 今日、医師からMRIの結果を告げられた。とりたてて悪い結果が出たわけではないし、決していい結果でもない。
 もっと大きな病院を紹介するから診てもらっておいで、と彼は言った。
 彼が指定した病院は、ここから車で2時間以上離れたところにあって、15年以上会ったこともなかった母親が数年前に息をひきとった場所だった。

 

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