深き海より、蒼き樹々の呟き

by 深海 蒼樹(ふかみ そうじゅ)

*

『初恋の人の名前を検索してみたことがありますか?』—早瀬 耕 「未必のマクベス」を読む

   

 文庫本の帯に書かれたその一文がなければ、本屋に平積みされた幾多の本のなかからその本を手にとることはなかっただろう。
 かと言ってそんなに意表を突くような文章だとは思わないし、おそらくは誰もが経験のあることを問いかけているにすぎない。ただ、どこか後ろめたさに似た感情を、その一文は揺さぶる。
 『初恋の人の名前を検索してみたことがありますか?』
 インターネットが当たり前になった現代において、それはいとも簡単に実行できる。誰にも知られずに、検索された本人になんの通知もなく、こっそりと。

 本のタイトルは、「未必のマクベス」。著者は、早瀬 耕。ハヤカワ文庫から出版されているのに、帯には『本の雑誌増刊 おすすめ文庫王国2018 ジャンル別ベストテン「恋愛小説」第1位』と書かれている。
 ハヤカワなのに、『「恋愛小説」第1位』? ミステリーではないのか?
 裏表紙には、
 異色の犯罪小説にして、痛切なる恋愛小説
と書かれている。
 それでも僕はまだ迷っていた。その分厚い文庫本を手にとってはみたものの、まだ買うとは決めていない。失礼ながら、僕はこの著者を知らない。

 裏帯には小説の一節が引用されていた。
 『(前半部分省略)–予備校のパソコン室でログインIDを与えられて以来、大学でも、就職後も、ぼくのログイン・パスワードは、鍋島の名前にいくつかの数字や記号を組み合わせたものだった。ぼくは、毎朝、昼休みの後、会議の後、仕事が終わって自宅のパソコンを開けるとき、そのたびに”fuyuka”とキーボードに入力して、彼女を思い出す。』
 「ふーん」と、僕は顔をあげて本屋の棚に並んだ文庫本の背表紙たちにピントの合ってない視線を投げかけたあと、「買ってみるか?」と、つぶやいた。賛同を得られた確証はないものの、特に異論がでたようでもなかった。
 長々と申し訳なかったけれど、こうして僕はとんでもない本を手に入れることになる。

 ミステリー小説であることは間違いない。ただ、スケールの大きさと主人公というか、ことの重大性と切迫性がなんだかピンとこないまま話は進んでいく。それは僕がこの小説をミステリーとして楽しむのか、恋愛小説として楽しむのかを決めかねているせいであったろうか。
 それとも、作品名にもなっているシェイクスピアのマクベスとの関連性にしっくりこなかったせいだろうか。いや、最後の最後、積み木カレンダーの正解が腑に落ちなかったせいだろうか。不満に思うところはなくはない。
 しかし、最後まで読み終わったとき、あなたはこの小説が『「恋愛小説」第1位』と賞されることになんの違和感ももたないだろう。。紛れもなくこれはすぐれた恋愛小説だ。
 そして、あなたは、誰かの名前を検索せずにはいられなくなる。

 初恋の人の名前を検索してみたことがありますか?

 あなたが検索した人の名前を明らかにする必要はない。誰がほんとうにあなたにとっての初恋の人なのかなんて、あなただけが知っていればいいのだ。誰にも、知られる必要もない。
 いまでも、心の何処かに思いを寄せる人がいませんか?
 たぶんだけれど、そういうことだと思う。熱烈ではない。ただ、静かで冷ややかであっても、その思いがいつまでも消えない。そんな人の名前を………

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