深き海より、蒼き樹々の呟き

by 深海 蒼樹(ふかみ そうじゅ)

*

52歳になりました

   

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 ほんっとうに、どうでもいい話だよね。
 とか言いながら、ここのところ全然書けてないこともあって、とにかく無理矢理にでも書いてみようと、自らの誕生日をネタに書くことにした。

 1963年   大阪府茨木市に生まれる
 2015年現在 兵庫県北部に住む

って、生まれてからこれまでを簡潔に書いたら2行で終わってしまった。

 このあいだに、なにがあったんだろうね?
 自分の人生をまるで他人ごとのように、考えてみる。
 ライフイベントとしては、やっぱり結婚を入れないわけにはいかない。その結果として、現在、僕にはひとりの妻とひとりの娘がいる。そうだ、僕は、妻子ある男なのだ。
 『妻子ある男』なんていうと、なんだかいっぱしなイメージを、僕も幼少からもってきたのだけれど、いざ自分がなってみると掛け値なしに大したことないんだよね。
 確かに、結婚をすること、子を持って育てることが、簡単だとは決して思わない。いろんな軋轢や我慢や両親との断絶や折り合いやあきらめや………一人暮らしなり、独身では味わえないことを経験できたり、かいくぐらざるをえなかったりする。
 単純に、独身は気楽で、家族持ちは大変だとか、そういう話でもない。ひょっとしたら、僕なんかは、独身者よりももっとお気軽に、無責任に生きているかもしれないとすら思う。
 僕が結婚を意識した20代の頃、身近の既婚者に、
 「結婚ってどうですか?」
と、よく質問してみた。
 そして、今は、その逆のことがしばしば起こったりする。
 「結婚ってどうなんですか?」
と、質問される身になったわけだ。
 結婚がどうかって?
 語ろうと思えば、体力のつづく限り、おそらく徹夜で語れそうなくらいには、語れることがあるような気もする。もしも、質問してきた彼なり彼女が聞きたいのなら。
 けれど、僕の質問に答えてくれた人の多くがそう答え、今の僕がそう答えるように、
 「一回してみたらいいと思うよ」
としか、言いようがないのだ。

 子供についても、同じようなことが言える。
 「子供ってどうですか?」
と、子供を持つ既婚者に尋ねたし、時には、
 「子供って、いりますか?」
みたいな質問をしたこともあった。
 結婚すれば、子供ができるのが当たり前というよりは、今では、子供をもうけるかどうかは、親の意志の問題として捉えられているように思う。それもまた、僕らの選択なわけだ。
 僕らが結婚した20年前ですら、妻は結婚しても子供はもたない派だった。僕も、それを承知で結婚をした。はっきりと妻に同意したとか、認めたというわけではなかったけれど、とりあえず、僕らは結婚しても子供は作らないということで夫婦をスタートしたのだった。
 けれど、僕らには娘ができた。ちなみに、バースコントロールに失敗したわけではない。逆に、子供がほしいと思って、子供を作ったのだ。
 生まれてから数年近くは、いわゆる『夜泣き』に泣かされた。出勤するはずが、気がついたら台所やマンションの廊下で昏倒していたり、出張先では仕事が終わった途端、夜の7時にはもう寝ていた。
 それ以外には、さいわいにして、大きな病気をすることもなかったし、とにかく手のかからない子供として大きくなってくれた。
 ただし、まったくなにもなかったわけではない。風邪をひいたり、金魚の餌をこっそり食べたり、虫さされが悪化してどうしようもなく腫れあがったり、鼻から朝顔の種が出てきたり、笑っていたり、不機嫌だったり、猫をかわいがっていたり、こらえきれなかったのか、深夜の部屋からなにかを床に叩きつけて壊す音がしたり、翌朝、粉々になったプラスチック片をかたづけて、家族みんなが素知らぬ顔でなにごともなかったかのように過ごしたりと、特になにかがあったわけでもないけれど、なにもなかったわけでもない。
 というわけで、質問されたなら、
 「作ってみたらいいんじゃない」
と、僕は答える。
 結婚と違って、子作りは、産んだあとに解消というわけにいかないことは、承知している。しかし、それを言い出すなら、産まないという結論しかないようにも思える。
 ただ、はっきりと言えることは、今までもずっと、僕は娘が大好きだということだ。

 数年前に、重症急性膵炎という病気をして以来、健康だとか寿命についてはすっかりと自信をなくしてしまっている。
 特に、50歳を過ぎてからは、あと何年生きてられるだろうと考えない日はないくらいには、残された時間というのが大きなテーマになっている。かと言って、そんなにシリアスにものごとを考えているわけでも、緻密なプランを練っているわけでもない。敢えて具体的に言うなら、60歳すぎまではなんとか生きていたいと思っている。娘が、30歳になるくらいまでは。
 そして、いくつまで生きられるかは別の話としても、僕は、いま第三次人工知能ブームというこの人工知能がどういう発展をしていくのかにすごく興味があるし、下世話な話としては、GoogleやAppleの行く末にも興味津々だし、できれば、退職までには少しはスキルを身につけて、退職後にはへたくそなりにもシコシコとプログラミンできるようになっていたいというのが、残りの人生の僕の楽しみであるのだ。

 まぁまぁ、そんなところです。
 毎日毎日、今日こそ死のうっと思って日々を過ごしていた10代から20歳の僕に、特に誇れることなどないし、年齢を重ねることで自分の人生とうまく折り合いがつくようになったとも思わないけれど、それもこれもあれもこれもひっくるめて、これこそが、あなたのでもなく、キミのでもなく、まぎれもなく僕の人生だということです。
 あの頃、必死で死のうとしていた僕が、今もどこか別のところにいるわけではなく、今ここにいる僕が、あの時の僕と地つづきでつながっている僕であることに間違いないのです。
 そう、僕は、いつも、ここにいて、ここにいるのが、僕なのです。52歳になりました。

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