深き海より、蒼き樹々の呟き

by 深海 蒼樹(ふかみ そうじゅ)

*

羊と僕と王国の譚(5)

      2013/09/11

 そもそも、羊は何をしに僕のところにやってきたんだろう? という、最初の、根本的なことが解決されていないわけだ。
 しかしながら、僕はそれを羊本人に尋ねようとは思わなかった。なぜだろう? だって、相手は、羊だし。言葉を話すようにはまるで見えないし、それを尋ねずにこちらがさとるのが、僕のツトメのような気がしてきた。
 あれ? 自分でハードルを上げちゃったかな? ちょっとそんな気もするけど、まぁ、いいや。

 丁寧にいれたコーヒーを、僕は羊が座ったソファーの前のテーブルに置いた。そして、羊の隣りに座った。だって、そこにしか座るところがないんだから、そうするしかないよね。
 座ってみると、思ったよりもソファーが小さいのか、羊が大きいのか、僕のすぐ隣りに羊がいた。腕を伸ばせば、その肩をすぐに抱き寄せられるくらい。もしも、その気になれば、オオカミになって一撃で押し倒せるくらい、僕らは隣り合って座っていた。

 沈黙と気まずさに耐えきれずに、
 「奈良美智って、知ってる?」
なんて、あやうく同じ過ちを繰り返しそうになるところを、なんとかその言葉を飲み込んで難を逃れた。
 かわりに、僕は、コーヒーをすすった。断っておくけど、僕は、かなりの猫舌だ。僕の、おそるおそるコーヒーをすする、ズズッという音が、部屋中に響き渡った。
 そのぶざまな音に、
 「えっ?」
という感じで、羊が顔をあげた。
 「あっ、ごめんごめん。人からもよく指摘されるんだけれど、今のは、行儀が悪かったね」
 もう一度説明するけど、僕は、熱いものが苦手だ。よく舌をやけどするし、唇の皮なんかも剥けたりする。喉を通り過ぎていく時の熱さに、思わず身をかがめてしまうことすらある。だけど、ぬるめのコーヒーをいれようと思ったことは、一度もない。自慢じゃないけれど。
 「羊さんは、猫舌?」
 音もたてずに、小指を立てて、コーヒーを優雅に飲み干す羊にむけて、僕はそう尋ねてみた。いや、尋ねる必要もないのはわかってる。だって、すでにコーヒーカップはカラになっているし、猫舌なわけがない。
 しかも、勿論、羊は答えなかった。だって、そこは、羊だもん。話せるはずが、ないから。エレガントに足を組み替えたり、優雅に小指を立ててコーヒーは飲めても、羊が言葉を話すなんてことは、聞いたことがないよね。
 それと同時に、今、羊を押し倒しても、熱いコーヒーをぶっかけられる心配はないということに、僕は、気づいた。
 ん? いや、そういうことを考えてるとか、そうしたいっていうことではなくて、一般論として、そういうことに気づいたまでの話だ。
 たとえば、別れ話を、ナイフやフォークがセットされたディナーの最初にするやつなんていないよね。どうしてもディナーの席で別れ話をしたいなら、せめて、食事も進んで、テーブルの上に残ったのはデザートスプーンだけなんて頃にすべきだと、僕は常々主張している。
 ただし、テーブルの上にはまだ、ウォーターグラスや、飲み残した赤ワインの入ったグラスがあることを忘れてはいけない。それらを頭からかぶるのも、ある意味男らしいかもしれないし、そのおかげで別れ話もまとまるかもしれないけれど。

つづく…羊と僕と王国の譚(6)

 - 物語みたいなもの, 羊と僕と王国の譚

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