深き海より、蒼き樹々の呟き

by 深海 蒼樹(ふかみ そうじゅ)

*

とある秋の散歩

      2013/09/11

 よく晴れた秋の休日、僕たちは、気ままな散歩を楽しんでいた。テレビニュースでも盛んに言われるように、今年は紅葉の当たり年らしく、町は見事なくらいに秋らしく、いたるところに、切り取って部屋の壁に飾っておきたいような風景や、一瞬ハッと息を呑んで足を止めてしまうような小さな場面で、あふれていた。

 どんな話から、そういう話になったのか、僕はよく覚えていない。でも、それは確か、小さな曲がり角を曲がった後の話だったはずだ。なぜそんなことをはっきりと覚えているかというと、僕らはそこで、その日一番の風景を見たからだった。
 角を曲がった瞬間、目に飛び込んできたのは、古い山門が絵画の額縁のようになって、ひとつの時間を切り取っている、見事な風景だった。山門はひからびたように白く、それとは対照的に、その中には秋の光に照らされた様々な色の紅葉が重なりあって溶け合い、山門から奥へとつづく細い石畳は見事な遠近法で奥行きを強調し、不意に吹いた風が、色彩と奥行きと時間とあらゆるものを揺らして撹拌し、僕らはその場に立ち尽くした。その美しさに目眩を覚えて、身動きすらできなかったのだ。 その景色を見つづけている限り、僕らはその目眩から解放されない。しかし、そのあまりに美しく強烈な景色から、目をはなすこともできない。僕らは、金縛りにあったように立ち尽くし、誰かがその呪縛を解いてくれるのをただ待つしかなかった。
その話は、その呪縛から解放された後に、始まった。どんな風に始まったのかは、覚えてないけれど。

 「どうして?」 と、彼女は、僕に問いかけたのだった。
 僕はまさか彼女が、そんな問いかけを返してくるとは思ってなくて、ひどく意外に感じた。
 どう考えてみても、彼女は僕よりもずっと読書家だ。小説に限らず、ノンフィクション、経済書、科学書、美容や健康の啓蒙書等々、いつもいくつかの本を同時に読み、彼女の部屋はいろんな図書館で借りてきた本と僕や彼女の友人が貸した本が、決して整理整頓されることもなく、雑然と彼女にしかわからないバランスで積み上げられている。
 そして、時々、図書館から返却の督促がくるし、慌てた彼女が夜間受付の返却口にその図書館のものではない本を投げ入れてくることも、たまにある。ほかの図書館のものなら、ラベルが貼られているから誰のものかがわかるけれど、僕や彼女の友人の本は、返却口に呑み込まれたが最後、善意の寄付としていつの間にか図書館の棚に並べられているのかもしれない。
 しかも、彼女に、本を集める趣味はない。読み終わった本には、見事な手のひら返しで、関心がない。彼女の関心は、純粋にその本の中身にしかなくて、それはあきれるくらいに、潔くて露骨だ。
 だから、彼女に本を貸す場合には、最初から戻ってこないとあきらめておくか、本のどこかにはっきりと名前を書いておくしかない。

 「たとえば、駅から駐輪場までの道のりの、ちょっとうら寂しい気分とか、そういうのを伝えたいって思うんだよ」 と、僕は彼女に言ったんだった。
 「さらには、なんて言うかな、紙で指先を切ったときの、その紙が指先に入るときの『スッ』っていう感じとか、そういうのをうまく説明したいっていうか…」
という話をしていた時に、彼女が心底わからないわっていう感じで返してきた言葉が、さっきの『どうして?』だったわけだ。

 「どうして?」
と、僕の顔を覗き込んだ彼女は、
 「なんのために、そんなことを伝えるの?」
と、言葉を継いだ。
 「なんのために? それはきっとなんのためでもない。それはそれを言葉にしたい僕のためであるし、強いて言えば、その言葉を待っているかもしれない誰かのためだ。ひょっとしたら、誰かなんて誰もいないかもしれないけど」
と、僕は、正直に話した。
 彼女は、困った時によく見せる曖昧な笑顔を浮かべた。そして、コートに入れていた僕の手を催促するように僕に向かって手を伸ばし、僕らは手をつないだ。
 「誰かがあなたの言葉を待ってるかもしれない。でも、誰も待っていないかもしれない」
 「おそらく、誰も待っていない気がする」
 つないでいた手を彼女が大きく振るおかげで、僕らはまるで幼稚園帰りの子供がふざけているような手のつなぎ方で、すれ違う人もいない道をしばらく無言で歩いていった。
 「私にはよくわからないんだけれど、それは簡単なことなの?」
 僕は、彼女の横顔を見た。どうやらその言葉に悪意はないようだった。そもそも彼女に悪意なんてものはない。どちらかと言えば、イヤミを言われても、そのイヤミにさえ気づかないような人だ。そのことで僕はいつも救われるし、そんな彼女だから、時折彼女に向けて言い放った僕のイヤミは、彼女に刺さりもせずに自分に返ってきて、僕は自分の意地悪さに気づいて、ひどくイヤな気分になる。
 「少なくとも、僕にとっては、難しいことだよ。いまだに、どうやって、伝えていいのか、わからない」
 「伝えてどうするの?」
 「どうもしない。僕は僕の中にある『何か』を、言葉や文字として取り出したいんだ。そうしなければ、僕は、その『何か』を自分で見ることができないし、おそらく、僕はその切り取ったものを誰かに見てもらいたいんだ。切り取ったものと、それを伝えるために僕が用意した言葉を」
 「見てもらって、共感してもらいたいってこと?」
 「共感?」
 僕は、空を見上げて、しばらくの間、答えがその空のどこかに書いてないか探してみた。しかし、カンニングペーパーは、澄んだ空にも流れていく白い雲にも、貼られてはなかったし、電信柱の探し猫の貼り紙の片隅にも、見つけられなかった。
 「どうなんだろう、そんな風に考えたことはなかった」
 彼女の問いかけにすらしどろもどろな僕が、言葉で誰かに何かを伝えたいだって? 
 「なにか、可笑しい?」
 自嘲めいた照れ笑いを見逃さなかった彼女が、心配そうに尋ねた。
 「いいや。いいんだ。僕は、どうしてもそうしたいから、そうしようと思う。ただ、それだけのことで、それだけでいいんだよ」
 「ふーん」
 彼女は、わかったんだかわかってないんだか、関心があるんだかないんだか、無関心を敢えて装ってるんだか、それが自然なんだか、僕にはわからないような受け答えで、やはり空を見上げた。
 シンと静まり返っているわけでもなく、かと言って、喧噪というほどのにぎやかさもなく、歩いていても暑いほどでもなく寒いほどでもなく、空は濃くもなく薄くもなく青く、雲は注意深く見なければ気づかないほどにゆっくりと流れ、紅葉は沁みるほどに色とりどりで、つないだ手はいつもと変わらない彼女の手だった。

 「今日は、いい日だね」
 歩きつづけながら、彼女が、言った。
 それは、ひどくだしぬけに放たれた言葉のようにも聞こえたし、判決を言い渡す裁判長のようにも聞こえた。
 そして、僕は、
 「そうだね、今日は、いい日だ」
と答えて、彼女に負けないくらい、つないだ手を思いっきりぶん回してやった。

 - 物語みたいなもの

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