深き海より、蒼き樹々の呟き

by 深海 蒼樹(ふかみ そうじゅ)

*

村上春樹との、過ぎた蜜月について、語ろう(1)

      2014/05/11

中国行きのスロウ・ボート

 蜜月なんて、きっとそんなものなんだろう。
 誰だって、恋のはじまりは、相手のことが冷静に見られないくらい、すでにその時点で恋に溺れてしまっているものだ。
 確かに、明確ではないにしろ、好きになる理由はあったに違いない。
 けれど、そんな理由さえ忘れてしまうくらい、もしくは、理由をあげろと言われれば、100は無理でも50は即座にその理由をあげられるくらいには、もうゾッコンな状態なわけだ。
 でなければ、そもそも、人は恋に落ちたりしない。

 そして、言うまでもないことではあるが、蜜月が過ぎていったことの原因が、一方的に村上春樹にあるわけではない。
 彼は、見事に作家としての成長を遂げている。ノーベル賞すら、その手中に収めようかというくらいに、全世界的に。
 しかしながら、僕は、なんだかつまらないのだ。決して、彼の活躍がつまらないわけではないし、そんなことに難癖をつけたいわけでもない。
 ただ、かつての蜜月のように、心が踊らない。彼の書いた作品のなかにのめり込んで、そこから一歩も出たくないと思わせるほどのグリップ感を、味わえないでいる。
 かつては、村上春樹が書いたものであれば、『電子レンジの説明書』であってもいいとまで心底思えた、囚われようが、今はないのだ。
 繰り返して言うが、その原因なり責任を、村上春樹に求めているわけではない。
 彼は、成長した。勿論、僕だって、それなりに成長した。僕の場合は、年令を重ねることを、成長と呼んでいいならという条件付きだけれど。

 僕が初めて読んだ村上春樹の小説は、『風の歌を聴け』だった。多くの人が周知のように、「群像」の新人賞受賞作であり、彼のデビュー作である。1979年のことだった。
 しかし、僕が、その作品に触れたのは、受賞から3年経った1982年、『風の歌を聴け』が、文庫化されたときだった。
 当時、僕は、19歳で、大学受験に失敗して予備校に通う、浪人生だった。
 今月の新刊として、『風の歌を聴け』の文庫本は、大阪の片田舎にある茨木の虎谷書店に平積みされていた。
 「群像」新人賞受賞作品という謳い文句と、佐々木マキの不思議な表紙が、僕を惹きつけた。
 僕は、迷わずに、いや、正確に言うと、裏表紙に印刷された価格を確かめた上で、安心して、その本をレジに持っていった。

 簡単に言えば、それが、はじまりだった。
 しかし、一目惚れというわけではなかった。
 その小説は、思った以上に余白の多い小説で、その余白だけの印象で言うと、中沢けいの『海を感じる時』を思い出させた。
 その頃の僕は、作品のよしあしとは別に、余白が多いとなんだか損をした気分になった。1文字あたりのコストパフォーマンスが悪いような、そんな感じだ。
 読了後、僕は、日記に、
 悪くはない。
 と、書いた。

 村上春樹は、芥川賞を受賞できていない。
 文壇というものから離れていたいというのは、今も変わらない彼のスタンスのようだし、そんな奴にわざわざ『芥川賞』をくれてやる必要もないというのが、『文壇』というところなのかもしれない。
 けれど、あの頃、村上春樹の文学的評価は、決して高くはなかった。一部の、若い熱心な読者をもったカルト作家だと、評されていたように思う。メインストリームではなく、サブカルチャー的な感じで。
 だから、本流である芥川賞には相容れてもらえなかったのだ。そうこうするうちに、新設された文学賞が、彼に授けられはじめる。
 文壇は、今さらどうかなぁといった打診をしたかもしれない。けれど、おそらく、村上春樹は、「いや、別にもらわなくてもいいです」と、答えた。
 文壇が、「やってもいい」と言ってるのに、「今さらでもいいから、僕に芥川賞を下さい」と、しおらしく答えるかと思いきや、この不遜な態度に文壇も依怙地になったのだろう。
 いや、ほんとうにそうかどうかは、知らないけれど。なんだか、そんな雰囲気を感じてはいた。

 ちなみに、なんとか潜り込んだ大学の、入学式の日、『風の歌を聴け』の単行本を脇に抱えた男を、僕は、同じ教室に集まったクラスメイトのなかに見つけた。
 「村上春樹、読むん? 結構、ええやろ?」
と、遠慮がちに言う僕に、
 「え?これ、ええか?」
と、痩せすぎてひょろっとして、とても同級生には見えない年上感を醸し出した男は答えた。
 「アカンかなぁ、むっちゃええとは言わんけど、面白いと思うんやけど」
 文化系というか、芸術系の学科とか、それに近いものを専攻した人には、わかってもらえると思うのだけれど、同好の士に囲まれて存分に話ができて嬉しいと思う気持ちと同時に、みんなが相手を値踏みしている感じがヒシヒシと痛かったのも覚えている。

 話が逸れるけれど、 昔々、国立音楽大学のサックス科の女の子が、最初の授業で、クラスメイトの前で音を出した時の緊張感について話してくれたことがある。
 このクラスでは、あの人とあの人がプロになるといったことが、その瞬間にみんなにわかってしまうのだと、彼女は言った。
 これから4年間の大学生活をはじめようとするその日に、合格の喜びも吹っ飛ぶような、残酷なまでの現実(ヒエラルキー)を突きつけられ、それでも彼女は演奏しつづける道を選んだらしい、努力を誓い、奇跡を信じて。

 彼は、「お前の批評眼はそんなもんなんか」といった蔑みを含んだ視線を隠しもせずに僕を見て、
 「ほんまかいな。途中までしか読んでないけど、これは、スッカスカで、全然アカンわ。読み終わったら、すぐに、古本屋に売るつもりや。やっぱり現代作家はアカンなぁ」
と、言い放って、話を切り上げた。
 運が悪いことに、僕が所属していたクラスは、国文学科だった。(勿論、自分で希望して選択した学科ではあったけれど)
 現代作家よりも、近代作家がよしとされ、もっと言えば、万葉集や古今和歌集、紫式部や和泉式部、清少納言、上田秋成や曲亭馬琴を、みんなは尊敬していた。
 もしくは、評価の定まっていない現代作家を積極的にピックアップしようという気持ちは、あまり感じられなかった。おそらく、入学初日ですら、彼らは、すでにアカデミズムに染まっていたのかもしれない。

 1983年の5月に、『中国行きのスロウ・ボート』という短篇集が出版された。カバーには、安西水丸さんの洒落た絵と、洒落た謳い文句の帯がついていた。
 その後、同じ年の9月に、『1973年のピンボール』が、文庫化された。
 『中国行きのスロウ・ボート』は、大好きな短篇集だ。あの当時買った単行本を見つけられないのが残念だけど、中公の文庫本は、娘の発見と計算によると、今現在住んでいるこの家のなかに4冊あるらしい。
 なんで4冊もあるのかというと、ふと、『中国行きのスロウ・ボート』を読みたいなと思ったときに、うまく見つけることができなくて、あらためて買ってしまったことがあるからだ。
 加えて、書店に行っても、中公文庫から出版されたこの『中国行きのスロウ・ボート』が、1軒目に立ち寄った書店では見つからないという事案がたびたび発生したため、たまたま書店でこの本を見つけると、ついつい買ってしまっていた時期がある。
 しかし、そのおかげで、『中国行きのスロウ・ボート』が、我が家に少なくとも4冊あるという事実が、僕を安心させてくれているのも確かだ。
 僕は、いま、僕を含めた4人家族で暮らしている。家族全員が、同時に、ふと、『中国行きのスロウ・ボート』を読みたいという衝動にかられたとしても、心配することはない。
 それくらい、『中国行きのスロウ・ボート』という短篇集は、僕のお気に入りでもあるのだ。

 では、『1973年のピンボール』は、どうだろう?
 耳に入ってくる音として、どうしても、僕は、『万延元年のフットボール』という大江健三郎の作品名を思い出してしまう。だから、なんだというわけでもないのだけれど、思い出してしまうことを、いちいち人に説明したくなるくらいには、気になってしまう。
 ついでに、どうでもいい話を付け加えるなら、僕は、ピンボールが苦手だ。
 正直に言うと、苦手なのは、ピンボールだけではない。インベーダーゲームだって苦手だったし、スーパーマリオだって苦手だったし、ゲームセンターの腕相撲にだって勝ったことはないし、目当てのぬいぐるみをキャッチした記憶すらない。
 もっとついでに書くと、将棋も、弱い。
 囲碁は、ルールすら知らないので、強いのか弱いのかわからないけれど、どう考えたって強いはずはないはずだ。
 と、どうでもいい僕のことばかりを書き連ねるくらいには、『1973年のピンボール』について書くことがない。
 作品としては、決して嫌いではないのだけれど、好きとも言いづらい。にもかかわらず、僕は、村上春樹が好きになっていた。
 今から思えば、『中国行きのスロウ・ボート』という短篇集を読んだ時には、僕は、すでに、村上春樹に心を奪われていたのだろう。だから、『1973年のピンボール』を読んで、ちょっと持て余して、困ったなと思ってもなお、好きだという気持ちは変わらなかったのだ。

 そして、『羊をめぐる冒険』を、僕は読む。僕の大好きな作品だ。

 ………つづく……

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