深き海より、蒼き樹々の呟き

by 深海 蒼樹(ふかみ そうじゅ)

*

子供向け万年筆『カクノ』が、想像以上に書きやすくて驚いた

      2015/01/07

 ここのところ、たまたまかもしれないけれど、僕のSNSの友だちの投稿に、万年筆に関するものが、たびたび投稿されていた。
 僕の勝手なイメージで言えば、万年筆はどんどんと高級化の道を辿り、庶民からは遠く離れた、特殊な筆記具になってしまった感が否めなかった。
 最早、万年筆は、一部のものを書く人々や、高級時計をコレクションするような部類の人々の、アイテムと化してしまった気がしていた。
 けれど、万年筆の投稿をしていたのは、僕よりもずっと若い世代の人々であり、それらは、ウンチクで凝り固められて、妙に崇め奉られるのではなく、実用的に使われている万年筆だったのだ。

 

 昔のことを、思い出してみよう。僕らの幼少時代には、万年筆は、まだまだ筆記具の一角を担っていたように思う。
 肉体労働者であり、自分用の机も、筆記具入れももたない両親ではあったが、水屋(食器棚)や箪笥の引き出しを開ければ、万年筆の1本や2本が、短くなった鉛筆と一緒に出てくるような時代だった。
 勿論、万年筆のインクはとっくに干からびていて、すぐに使えるものではなかったけれど。それくらい、今から40年近く前には、万年筆は身近なものだった。

 もしくは、アニメの『ムーミン』や『アルプスの少女ハイジ』なんかで、こんなシーンが出てこなかっただろうか。
 鳥の羽根をインク壺に浸け、文字を書いていくシーンだ。
 hane_pen
 いわゆる、羽根ペンと呼ばれるもので、アニメや古い時代を扱った映画なんかにもよく出てくる。

 僕にとっては、万年筆が、ひとつの憧れだった時期がある。
 40年前には、2月や3月、ちょうど今くらいの時期には、万年筆のテレビCMがよく流れていた。就職や進学のお祝いに、万年筆をどうぞ、とういものだ。
 そのせいか、万年筆というのは大人が使う筆記具というイメージが刷り込まれている。
 実際に、僕らが小学生の頃には、習字の授業の中に「ペン習字」なるものがあった。授業のための、簡易で安価なペン先と、ペン軸、インクを購入した記憶がある。
 そういう教育を受けたにも関わらず、僕は、万年筆が苦手だった。だから、余計に憧れたのかもしれない。

 まず、苦手な理由の最たるものは、力を入れすぎてしまって、ペン先を割ってしまうということだ。
 授業で使ったペン先も、いくつ割っただろうか? 力を入れずにスラスラと書くようにと言われるのだけれど、僕にはそれができなかった。
 そしてもう一つは、インクの溜まりができることが、イヤだったのだ。文字を書いていると、どうしても書くスピードが落ちるところがある。その場所に、インクがたくさんついてしまう。
 もしくは、力を入れずに紙の表面をペン先で撫でるように書いた文字は、インクがたっぷり出ていて、その文字に不用意に触れて手を汚すか、紙の上でインクが伸びてしまったりした。それが、すごくイヤだったのだ。
 このブログでも何度も白状しているように、僕は、元来が不器用にできている。
 万年筆というのは、不器用な上に、子供的ガサツさ満載な僕には、不向きな筆記具だったのだ。とても、僕に使いこなせる筆記具ではない。
 家中の万年筆という万年筆のペン先を、もらった万年筆という万年筆のペン先を、僕はことごとくすべて割ったように記憶している。力を加えすぎて、ペン先が割れる時の、『ぺきっ』という音と、思わず漏らした自分の『あっ』という声が、今も聞こえてくる。

 かくして、使ってはみたいけれど、決して手を出してはいけない筆記具として、万年筆はあった。
 しかし、僕には好都合にも、時代は、機能的でなく、書きづらい筆記具として、どんどんと万年筆を置いてきぼりにしていってくれたように思える。
 冒頭にも書いたように、最早、万年筆は、一部のモノ好きな人々のものでしかなく、すでにその時代を終えてしまったように思っていた。
 どちらにしても、僕には使いこなせない筆記具であるわけだし、手にすることもないと思っていた。
 誰かが、万年筆を買ったと言っても、それは、大型免許を持たない僕に、誰かが750ccのバイクを買ったと言われたに等しいくらい、僕には無関係なことのように思えた。

 先日、と言っても、つい2日ほど前の出来事だ。
 とある文具屋に、僕は立ち寄った。ふらっと立ち寄ったわけではなく、その日が全品2割引きのニコニコデーであることを知ったうえで、僕はその文具屋に向かったのだった。
 お目当ての方眼紙は未入荷のままだったし、2割引なら買ってみようかと思った色鉛筆のセットは品切れだった。
 せっかくはるばる来たのに、買いたいものがない。しかも、今日は、2割引きの日なのに…。
 と、思い出したのが、万年筆だった。
 近頃は、安い万年筆が出ているらしい。無理に買う必要はないけれど、見るだけは見てみればいい。万年筆売り場なんて、ずっと見たこともない。
 そこにあったのが、kakunoだ。正確には、uにウムラウトがつくドイツ語表記なのだけれど、面倒なのでここはウムラウトなしで書かしてもらった。日本語名は、『カクノ』だ。

kakuno_hosoji

 試し書き用に、カクノが中字と細字の2本、それに紙が用意されていた。
 中字と書かれた方のカクノを、僕は手にして、書いてみた。
 勿論、ペン先割り名人の僕である、力を入れ過ぎないように用心深く、おそるおそる、紙を撫でるように書いた………つもりだ。
 書いた文字のあちこちに、インクの溜まりができていく………はずだったのだけれど、思いのほか、万年筆とは思えないようにスラスラと書けてしまった。
 しかも、インクは、さっさと乾いていて、手が触れてもインクが付きそうにもないくらい、紙に馴染んでいた。
 僕は、首を、かしげた。
 そんなはずはない、これが、万年筆なんだろうか?
 ついでに、細字も試してみた。
 適度に紙をつかんでいる実感がある。決して、紙の表面をペン先で引っ掻いているような不快感ではない。
 細字用の『カクノ』を、僕は、レジかごに入れた。

 とにかく、インクの速乾性に驚いている。
 そして、子供用(小学生向き)ながら、言わなければ、きっとそれが万年筆だとさえわからないような、シンプルな外観になっている。しかし、まぎれもなく、万年筆なのだ。
 職場の子たちに、書いた文字を見せたところ、それが万年筆で書かれたものだとは思えないという感想だった。
 僕だって、同じ気持だ。
 万年筆の嫌いなところがないということは、万年筆らしくないということにもなってしまう。
 だから、これは、僕の自己満足の問題である。
 僕は、50歳になって、やっと万年筆を使っているという、自己満足にどっぷり浸かっている。それは、かなり、屈折した思いとも言えるだろうか。

 ちなみに、定価は1000円(税抜き)のようだ。
 筆記具一本の値段としては、ニコニコデーの2割引きが適用されたとしても、決して安くはない。
 しかし、万年筆は万年筆だ。(昔々、子供用にすごく安い万年筆があった。ペン軸が極端に短く、キャップをペン軸の後ろに挿してかろうじて使えるくらいのずんぐりとしたものだった)
 しかも、外見上は、万年筆には見えない。
 たとえ、ペン先を割っても、万年筆だとバレてない以上は、なんとかなるかもしれない。←これが、なんのための予防線かは、自分でもわかりかねている。
 というわけで、『カクノ』を、使い始めてみた。
 よければ、そのうち、中字用も買ってしまうかもしれない。今は、黒インクを使っているけれど、青インク用も欲しくなるかもしれない。
 そんな予感がする、今日この頃です。

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