深き海より、蒼き樹々の呟き

by 深海 蒼樹(ふかみ そうじゅ)

*

キミは、カモノハシを見たか?(最終回)

      2014/04/02

カモノハシ  このタイトルを見て、あまりにも、久しぶり過ぎて、驚いただろうか?
 もしくは、あまりに長い間見なかったので、いつの間にかこのシリーズ自体が終わってしまったと、思われていただろうか?
 そう、それは、若いころ経験した、つかの間の恋のように。
 なんだか運命の人はこの人ではなかったのかな?なんて、思いはじめて、何度か誘いを断っているうちに、疎遠になって自然消滅していった恋のように、いつしか消えていったものだと、思われていただろうか?
 相変わらず、面倒くさい文章を書いているなぁ。でも、今回も間違いなくこういう文章がつづく。
 『キミは、カモノハシを見たか?』の最終話だ。

 まずは、前回までの8話をかいつまんでみることにしよう。
 たぶん、僕だって覚えていない。

sydny_olympic  話は、今から遡ること、20年。夏季オリンピックの開催地として、シドニーが選ばれた1993年9月のことだ。
 僕は、新婚旅行で、オーストラリアを訪ねた。サーファーズパラダイスとシドニー。
 そして、僕が、生まれて初めての海外旅行であり新婚旅行である旅の目的地として、オーストラリアを選んだのは、いくつかの動物が見たかったからだ。
 オーストラリアと言えば、羊であり、コアラであり、カンガルー(ワラビー・ワラルーを含む)であり、カモノハシなのだ。(実は、国土の大部分が砂漠地帯であるオーストラリアでは、毒蛇の種類も豊富ではあるのだけれど、僕は蛇が大嫌いなのでそのことは敢えてスルーする)。
 そして、その中でも一番見たかったのが、カモノハシだった。
 旅行を決める前、僕は、カモノハシを見るには、自然の中にいるカモノハシを運良く見つけにいかなければならないのかと思っていた。しかし、動物園にもカモノハシがいることを知ったのだ。それが、今、訪ねている、シドニーのタロンガ動物園だ。
 しかも、第7話で書いたように、その日、カモノハシは定休日ではなかったし、9月の春の空は青く僕らを祝福してさえいた。(そう、南半球では9月が春なのだ)

 タロンガ動物園は、僕が想像していた以上に、広大な動物園だった。
 そして、僕は、この動物園のセールスポイントは、カモノハシがいることだと思っていたのだけれど、実際に園内に入ってみると、ところどころにカモノハシのイラストや写真があるにはあるものの、それは、他の動物だってそれくらいの扱いは受けているわけで、特段にカモノハシがフューチャーされていたり、優遇されている様子はなかった。
 カモノハシって、僕が思っているほど人気者ではないのだろうか?
 またしても、一抹の不安のようなものが、僕の脳裏をよぎり、見上げると、動物園の上に広がった青い空に、白い雲が急ぎ足で集まろうとしていた。

 第7話で書いたときの小学生だった僕のように、目的の動物を目がけて一目散なんてことは、しなかった。
 カモノハシは、ここにいるのだ。そして、何度も言うように、何度も確認したように、本日、カモノハシは休みではないのだ。
 多少の雲が、青い空を横切ろうと、なにも心配することはない。
 僕らは、順々に、動物園の動物を眺めていった。カモノハシのいない動物園でもそうするように、カモノハシのいるタロンガ動物園でも、そうした。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA  エミュー、ウォンバット、アリクイ、カンガルーといったオーストラリアを代表する動物たちがいたし、同じみの象やキリンやライオンといったポピュラーな動物たちもいた。
 そして、僕は、カモノハシのいる建物に出くわす。そうだ、カモノハシは、カモノハシ館とでも呼ぶべき、建物の中にいるようだった。決して、野ざらしの模した小川の清流にいるのでは、なかった。
 建物の中は、薄暗い。彼が、薄明薄暮性であるためだろう。ちなみに、薄明薄暮性とは、『はくめいはくぼせい』と読み、簡単に言ってしまえば、『夜行性』であり、厳密に言えば、明け方と薄暮の間に、主として活動するということだ。カモノハシは、基本、昼間は活動しないってことだ。
 建物のなかには、小ぶりな円柱形の水槽があったように思う。はるか20年以上前の話だし、薄暗い建物のなかの話だ、仔細を説明するというよりも、そのときのイメージを僕は語っているに過ぎない。
 建物のなかには、僕と妻のふたりしかいなかった。そうだ、僕と妻と、ふたりきり。
 目を凝らしながら、おそるおそる近づいた水槽には、ぼんやりと僕らの姿がそのガラスに映っているだけで、空っぽだった。それは、建物のなか以上に静かで、それがほんとうに観賞用の水槽なのだろうかと、僕らは首をかしげた。
 しかし、それ以外には、なにもないのだ。これだとしか、判じようがない。それとも、これは、ただただ打ち捨てられた水槽なのだろうか?
 そうであったとしても驚かないくらいに、その水槽は静かで、そこに命があるようには感じられなかった。

 円柱形の水槽は、床から生えて、天井に伸びていた。上から下まで、すべてが水に満たされているわけではなさそうだった。
 もっと近づいて覗いてみると、水槽の上部には、どうやらカモノハシの巣と思しきものがあるようだったが、水槽のガラスには目隠しがしてあって外側からはよく見えない。カモノハシがそこにいるのか、留守なのかすら、僕らにはわからなかった。
 僕は、大きく、息を吐いた。
 遂に、長年の念願だったカモノハシとの対面を果たすんだという緊張感から、僕は、知らず知らずのうちに息をつめていた。その息を、吐いたのだ。
 そうか、そう簡単には、会えないんだ。
 妻は、不服そうだったけれど、僕は、息を吐いたあと、少し笑った。
 確かに、僕は、遠路はるばる、日本からカモノハシに会いにきたのだ。しかも、僕がカモノハシを見たいと思った小学生の頃から数えて、そのとき、すでに20年の歳月が経っていた。
 それだけでも、やっと、ここまで来たのに、っていう思いから、水槽の前で膝をついて打ちひしがれてもよさそうなものの、僕は、そんなに凹みはしなかった。
 カモノハシなのだ。しかも、さっきも書いたように、彼は薄明薄暮性で昼間は巣で寝ているような動物なのだ。そうそう簡単に見られると思うほうが、間違ってるのかもしれない。なんて、まだ、僕にはそう思う余裕があった。

 僕らは、ひきつづき、動物園を見てまわった。そして、何度もカモノハシ館を、訪ねてみた。
 しかし、相変わらず、そこは無音と言っていいくらい静かで、薄暗く、そして、誰もいなかった。
 そうだ、何度訪ねても、僕ら以外にその水槽を訪ねる者はひとりもいなかった。
 だから、僕らは誰に遠慮することもなく、おもいっきり聞き耳を立てることができたのだけれど、カモノハシの寝息を聞くことも、なんらかの気配を感じることすらできずにいた。

 おそらく、僕らは、動物園を少なくとも、3周はしていただろう。ありがたいことに、そのときはまだ僕らは新婚だったのだ。妻は、僕を励ましながらも、粘り強く僕に付き合ってくれていた。
 そして、もうひとり、僕を気にかけてくれている人がいたようだった。
 『どうしたの? なんか、探してるの?』
と、動物園のインフォメーションデスクの中年女性が、何度も何度もその前を通る僕らを見かねたように、話しかけてきた。
 ”I want to see a platypus.”
 ”Oh, platypus?
 彼女は、はいはい、そうか、カモノハシが見たくて何度も何度もカモノハシ館を訪ねては、見られなくて、またブラブラと園内をほっつき歩いてるってことなのね、と、理解したようだった。
 少なくとも、この短い会話によって、彼女が多くのことを理解してくれたように、僕には感じられた。

information  ”I’m Japanese.”
 ”You came here from Japan?”
 ”Yes, I came here to see a platypus.But I can not see him.”
 ”Yes, I have known it. And I know that he is so shy.”
と言って、彼女は、右の手を左の肩に、左の手を右の肩に置いて、自分で自分を抱きしめるようなジェスチャーをした。
 ”So shy?
 彼女は、中学の英語の先生がするように、わかりやすく、ゆっくりと、言った。
 ”Yes, he is so shy.”
 僕は、一瞬、彼女が次には、
 ”Repeat after me!”
と言いそうな気がしたけれど、彼女はそうは言わず、申し訳なさそうにニコニコしていた。
 ”Have you ever seen a platypus?”
 僕は、おそるおそる、彼女に尋ねた。
 彼女は、ほんとうに申し訳なさそうに、首を横にふった。
 ”I have worked here for about twenty years. But I have never seen…….”
 ”Oh, My God!
と、僕は心のなかで叫んだ。

 インフォメーションのおばさんの、衝撃的告白のあと、僕らはショップで一息をつき、またしても、カモノハシ館を訪ね、誰にも会わずに、なにもいない水槽を眺めた。
 そろそろ、いくらなんでも、気力も萎えてきた。喜び勇んでホテルを出発し、サーキュラーキーから小型フェリーに乗ってきたときの、あのウキウキとした気分の大半を、僕らは使い果たしていた。
 フェリーで一緒だったダニエル一家だって、とっくに動物園をあとにしていることだろう。
 タロンガ動物園には、いくつかの入り口がある。広大な動物園だし、当たり前のことだ。到着したときに僕らが利用したのは、船着場から近かった、所謂裏門のようなところだった。
 もう一度、裏門から出るか、せっかくだから正門を出て、バスで船着場に向かうか、僕らは一日で折り目が破れかけた動物園のマップをもう一度見た。
 僕は、そのときいた場所から近い、裏門を選んだ。
 妻は、正門から出るなら、もう一度だけ、カモノハシ館を通れると言った。
 正直なところ、僕は、もうカモノハシをあきらめていた。20年もこの動物園に勤めているインフォメーションの人が見たこともないものを、ポッと一日だけ観光に来た者が見られるはずがない。
 おそらく、そういう運のいい人もいるのだろうけど、僕は、本日、パンダはお休みです(第8話より)を見事に引き当てた男の末裔なのだ。そんな幸運がもたらされるはずもない。

 結局のところ、せっかくきたのだから、正門を通って帰ろうということになり、僕らはその道すがら、カモノハシ館にも寄ることにした。
 相変わらず、館内は静かで、僕ら以外には、誰もいなかった。いったい、一日にどれだけの人がこのカモノハシ館の中まで、足を踏み入れるのだろう?
 みんな、この前を通るだけで、ここがカモノハシ館だってことすら気づきもせずに、通りすぎていっている気がする。こんなにもみんなにスルーされるくらい、カモノハシという動物は、人気がないんだろうか?
 僕の琴線にはこんなにも触れまくっているカモノハシが、ほかの人々の琴線にはまったく触れもしてないということなのか。妻だって、全然興味はないようだし。
 そうか、ひょっとしたら、インフォメーションの中年女性だって、カモノハシが見たいわけではないのかもしれない。20年間ここに勤めているけれど、一度もカモノハシ館には足を運んだこともないのかもしれない。
 この世界は、僕が思う以上に、カモノハシなしでも回っていくものなのかもしれない。

 薄暗い館内の、薄暗い水槽を、なんの期待もなく、僕は見た。
 その前に、もう一度、カモノハシをおさらいしてみよう。彼は、全体のバランスを大きく崩すくらいに幅広で平らなくちばしをもち、四つの手足はほとんど水掻きと言っていいように太く短く、尻尾は体と同じくらいの長さをもっている。
 だとしたら、今、僕の目の前の水槽の中にいるのは、まぎれもなくカモノハシのはずだ。
 ”Oh, My God〜!
 僕は、危うく水槽のガラスに顔面を打ちつけそうになるくらい、慌てて顔を近づけた。そして、じっと、その生き物を見た。
 もう一度、言う。これは、まぎれもなく、カモノハシだ。
 タロンガ動物園に勤めて20年の、インフォメーションのおばさんも見たことがないという、これがカモノハシだ。
 短い四つの水掻きを思いっきり動かして水を掻き、その大きな尻尾でバランスをとりながら泳ぐ姿は、スマートからはほど遠く、ひどく不格好なものだったし、見慣れない東洋人が水槽のガラスに貼り付くようにして見ているというのに、動じることもなく、堂々と我が物顔で泳ぎつづけている。
platypusinthewater  『どこが、シャイやねん!』
 僕は、関西人らしくカモノハシにツッコミをいれながら、しばらくそこから離れられないでいた。妻は、『へぇ~』と言ったあと、ものの10秒ほどで完全に興味をなくしていた。

 『あっ!ちょっと、行ってくる』』
 僕は、思い出して、新妻を置いたままカモノハシ館を飛び出した。
 『どこに行くん?』
 『インフォメーションのおばさんとこ』
 そうだ、僕は、あのインフォメーションのおばさんに、カモノハシを見せてあげたいと思ったのだ。
 カモノハシ館を出ると、僕らと同じように新婚旅行で訪問したと思われる日本人カップルが、通路をイチャイチャしながら歩いていた。僕は、親切にも、今ならカモノハシが見られるよ、と、言いそうになってやめた。
 言わないことは、不親切になるんだろうか? しかし、少しでもカモノハシに興味があるなら、僕が声を掛けなくても、カモノハシ館に入ってくるだろう。
 それよりも、インフォメーションのおばさんを、早く呼びにいかなくては。

 それは、僕の運のなさなのか、きっとやはりそのおばさんの運のなさなのだろう。
 インフォメーションは、窓を閉じたうえに、内側からカーテンが降ろされていた。
 試しに、
 ”Excuse me!”
と、何度か声を掛けてみたけれど、返事はなかったし、人の気配すらなかった。それは、さっきまでの、カモノハシの姿のない水槽にそっくりなくらい、ひっそりとしていた。
 なんて運のないおばさんなんだろう。
 せっかく、走って知らせに来たのに。
 20年に1度のチャンスだったのに。
 僕は、駆けてきた道をまた駆けて帰った。そして、また同じように水槽のガラスに鼻がくっつくくらい近づいて、カモノハシが泳ぐ姿を眺めていた。
 妻が、
 『そろそろ、もう、いいでしょ?』
って、言うくらい。

Circular_quay  サーキュラーキーへ向かう帰りのフェリーのなかで、僕は、僕が出て行ったあとにカモノハシ館に入ってきた人がいたかと、妻に尋ねてみた。
 予想通り、答えは、ノーだった。誰も、カモノハシ館に入ってきたものはいなかった。
 あの日、いったい何人の入園者がいて、その入園者のうちの何人がカモノハシ館に入って、あの水槽をのぞいたのだろう?
 そして、何人が、カモノハシを見たのだろう?

 あれから、20年間が過ぎた。その間、僕は新たにできた知人や友人に、
 『ところで、キミは、カモノハシを見たことはあるかい?』
と、尋ねてきた。
 しかし、ただの一度も、
 『見たことがある』
という、返事が返ってきたことはない。
 だいたいのところ、
 『カモノハシ?』
と、訝しげに聞き返されるか、
 『カモノハシってなんでしたっけ? 卵を生む哺乳類でした?』
なんて返してくれれば、上出来の方だった。
 残念ながら、僕が思うほどに、カモノハシは世界の中心にいるわけではないようだ。
 たとえば、  『カモノハシの話を聞かせてあげるから、どう?』
なんて女の子を誘っても、成功する確率はほぼないということだ。
 誰も、僕のカモノハシの話を聞こうともしない。なので、長々とこのブログに書くことにした。
 ご愛読、ありがとうございました。

キミは、カモノハシを見たか?(1)
キミは、カモノハシを見たか?(2)
キミは、カモノハシを見たか?(3)
キミは、カモノハシを見たか?(4)
キミは、カモノハシを見たか?(5)
キミは、カモノハシを見たか?(6)
キミは、カモノハシを見たか?(7)
キミは、カモノハシを見たか?(8)

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