深き海より、蒼き樹々の呟き

by 深海 蒼樹(ふかみ そうじゅ)

*

またしても、西野カナの『会いたくて、会いたくて』にはまる(男性 50歳)

      2015/06/05

 どうしたわけか、またしても、はまってしまった。
 車のオーディオでは、リピート再生が設定され、ここ何日もその曲しか聞いていない。
 なんてことだろう。
 まさか、もう一度、こんなことが起こるなんて。

 前回、この曲にはまったのは、いつのことだったろう?
 そうそう、確か、これだ(今更ながら、西野カナの『会いたくて、会いたくて』にハマった話)。
 2013年の10月ということは、かれこれ、半年近くが過ぎたことになる。
 あれで、僕のなかの西野カナブームは一応一段落ついたはずだったのだけれど、ここにきて、西野カナ再来とは。
 厳密に言うと、西野カナ再来というより、『会いたくて、会いたくて』というその曲だけなので、西野カナの『会いたくて、会いたくて』再来と言うべきだろう。

 では、なにが、またしても、僕をそんなに捉えたのかと言うと、やはり、あのサビの部分なのだ。
 あれは、ほんとうに、ヤバすぎる。  

会いたくて 会いたくて 震える
 キミ想うほど 遠く感じて
 もう、このフレーズに、つきる。

 ちなみに、「もう一度 二人戻れたら」とか、「もう一度聞かせて、嘘でも、あの日のように『好きだよ』って」の部分には、あまり関心がない。
 僕としては、ヨリを戻したいみたいな部分には、正直、共感するものがないのだ。
 では、なにがまたしてもはまるくらいに響いているのかというと、会いたくても、会えないということなのだ。
 なんで会えないのかというと、フラれたから、会えないのだ。
 もう恋人同士じゃないから、会う必然がなくなってしまったのだ。相手にとっては。

 ほかの歌にもあった気がするけれど、日常の中の出来事があって、
「これは、今度彼女に会った時に話そう。きっと、面白がってくれるよな」
なんて思ったあと、
「あっ、オレ、フラれたんだった。もう彼女と話すことはないんだ」
って、気づいたときの落ち込みようを、このフレーズはひしひしと僕に思い出させてくれる。

 別に、僕はマゾっけがたっぷりなわけではないのだけれど、このフレーズに喚起される切なくも、純然たる『会いたい』という思いに、すごく共鳴し、共感してしまうのだ。
 もう一度、言う。ヨリを戻したいという思いには、全然共鳴しない。不思議なくらいに。
 かれこれ、30年ほど前に失恋した時には、ひょっとして彼女が戻ってくるかもしれないと、5年以上彼女の席は空けたまま待ってたけどね。
 勿論、戻ってきてはくれなかったけれど。

 そうそう、当時のこと、過ぎていく日常の中で、彼女にフラれたことすら忘れていくんだよ。彼女のことは、忘れてないのに、なぜか自分勝手に、フラれたことだけ忘れてて、なにかの拍子に、
「この週末は、どうかな、会えるかな」
なんて、いつものように思って、早めに電話しなきゃなんて慌てたりもする。
 そして、
「あっ!」
って、思い出す。
 実はもう会えないんだってことを。
 これから先、おそらくもう二度と、彼女に週末の予定を尋ねるために電話することも、デートの約束を交わすこともないんだということを思い出して、胸がドキドキするくらいに、凹んだ。
 「あぁ、会えないんだ」
って、あんなにも哀しくて、ズキズキこたえた日々があったんだよ。
 すでに、30年も経ったけれど。

会いたいって願っても 会えない
強く 想うほど 辛くなって
 そうなんだよなぁ、と、なぜか、ふむふむとうなずきながら、この曲ばかりを聞いてしまう。
 おそらくこの曲に出会うために、僕は、30年前に彼女にフラれたんだろうな。
 きっと、そうに違いない。

 

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