深き海より、蒼き樹々の呟き

by 深海 蒼樹(ふかみ そうじゅ)

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失敗はたくさんした方がいいと、50歳にして思うこと

      2014/04/06

tairatadahiko

 僕は、失敗をしたくないと、ついつい考えてしまう人間だ。だから、伸びない。もしくは、つまらない失敗で、簡単に打ちのめされてしまうような、弱い人間だとも言えるのかもしれない。
 誰だって、望んで失敗する人間はいない。それなりにうまくいくだろうという算段のもと、ことに望むはずだ。
 だけれど、慎重派の僕からすれば、どうにもこうにも最初から失敗するしかないような見切り発車も、たくさん目の当たりにしてきたし、経験もしてきた。
 しかし、失敗すること自体が、一概に悪いわけではない。

 勝った試合より、負けた試合のほうが、得るものは多い
 とは、スポーツではよく言われてきていることだ。

 たとえば、平忠彦というバイクレーサーがいた。今でも、たまにNHKのバイクツーリングの番組に出演したりする。現役当時よりは、かなりふっくらとされたが、それでも、レーサーの実力だけでなく、その端正な容貌でも一世を風靡した面影は、しっかりと残っている感じだ。

 僕は、平選手が好きだった。それは、スポンサーである資生堂のCMに出ても、俳優さんに引けをとらないほどの甘いマスクのせいではない。そう言えば、草刈正雄主演の『汚れた英雄』という映画では、レースシーンのスタント役をやってたりもした。そんな外見的アドバンテージにもかかわらず、レーサー仲間からは、「平は、バイクのことしか考えてなくて、女のことなんか考えている暇がない」と言われるほど、レースやバイクに一途なところだったかもしれない。

 そして、その仲間は、こうも言った。
 「平は、結構、転倒するんですよ、あんなにうまいのに。しかも、平が乗っているのはメーカーのカスタムバイク(ヤマハYZR)で、ひとコケしたら修理にうん千万円かかるくらいの金のかかるバイクに乗ってるのに、平気で転倒する。
 『なんでそんなにお前はコケてばかりいるんや?』
って聞いたら、平が、なんて言ったと思う?
 『だって、転倒してみないと、どこまでバイクを倒しこんだら転倒するのかが、わからないじゃないですか』
って、逆に、驚いたように答えよった」

 まさに、正論だ。転倒してもいないのに、これ以上倒しこみをしたらカーブで転倒すると、どうして断言できるだろう?
 しかし、コケれば、痛いし、怪我をするかもしれないし、下手をすれば命すら落とすかもしれない。そう思えば、コケることが、怖くて仕方なくて当然のはずだ。
 なのに、平忠彦というレーサーは、
 コケるかコケないかは、コケてみないとわからない
と、恐怖心をはるかに上回る、誰よりも速く走りたいという探究心のもと、そう言っているわけだ。
 だから、彼は、チャンピオンであったのだ。

 50歳になった現在、僕は、失敗を恐れてばかりいた人生が失敗だったかもしれないと、思うことがある。
 失敗を恐れて無難にいくよりも、失敗から多くのことを学んだほうが、より早く、より大きく前進できたかもしれない。
 勿論、失敗から学ぶためには、それが失敗だったと謙虚に認める勇気が必要だ。誰だって、自分の失敗からはできれば目をそらせたいし、時には、あたかも自分は失敗なんかしていないと、せめてその場だけでも取り繕いたいと思ってしまう。そして、なんとかその場を取り繕えたなら、二度と失敗しないために、トライすることをやめてしまうこともよくあることだ。
 それで、あきらめのつくことなら、それでも、いい。だけれど、人にはそれぞれ、とにかく、行き着いてみたい場所があったりする。
 できれば、なんの苦労もなく、才能だけで行ければいいのだけれど、どうやら僕には才能なんてなかったようだ。だとしたら、どうすればいいのだろう?

 僕には、努力するという才能があったんです
と言ったのは、松岡修造くんだった。
 彼も、家柄もマスクも申し分なく、苦労してテニスをする必要などないように、傍からは見えたりもしたのだろうけれど、敢えて苦しいトレーニングに耐えても、彼には彼の行き着きたい場所があったのだろう。
 勿論、平忠彦や松岡修造の名前を出してきて、僕の行き着きたい場所も世界レベルの…なんてことを言いたいわけではない。

 ただ、失敗することは、ひとつの近道なんだろうなと、近頃思うようになったということだ。努力も大切だし、失敗しないための工夫も大事、戦略や構想、策略をじっくり練るのもいい。だけど、失敗してみるのも、いい、ということだ。
 一度や二度の失敗で立ち上がれないなら、それは、それだけの情熱だったってことだろうし、失敗を理由に目標自体を捨ててしまうなら、それはそれで、失敗の有効活用かもしれない。もっと失敗しない目標に、切り替えられたという意味においては。もしくは、早々とあきらめをつけて、ほかの道を進むという選択において。

 でも何度も言うように、捨てきれなくて抱え続けてきたものが、人にはそれぞれあったりもする。そして、残された時間は、そう長くもない。
 そう、コケても起き上がるし、失敗してもまたトライするということが、確固たる前提ではある。だったら、たくさん失敗したほうが、手っ取り早いように思えてきた。という、今日このごろの、ひとりごとだ。

 近頃、facebook上で流れていた箴言というか、メッセージが、あった。それが、数多くシェアされていたということは、その言葉が多くの人々に勇気を与えていたということだ。  

死ぬこと以外は、かすり傷

 まさに、そうかもしれない。少なくともそう思えば、なんだか元気が湧いてくる。

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