深き海より、蒼き樹々の呟き

by 深海 蒼樹(ふかみ そうじゅ)

*

ダリアの咲く庭先で

      2013/09/11

ダリア_01

 たとえば、通りすがりの見知らぬ家の庭先に、きれいな花が咲いていたとしよう。
 あなたなら、どうすだろう?

 ひと昔前までの僕だったら、どうしただろうか?
 一番正直なところ、ひと昔前の僕なら、そんな花にすら気づかなかった可能性が高いし、その花を特にきれいだとも思わなかったかもしれない。うん、間違いなく、僕はそんな人間だったように思う。

 もしも、その庭先が通勤路だったなら、そのうちに一度くらいは足を止めてじっくり見てみよう、と思ったかもしれない。うん、多分、そう思うだけは思っただろうな。ただし、これは絶対と断言できるけれど、実際に足を止めて見ることはなかっただろう。そのうちにそのうちにと思っているうちに、花は萎れ、いつか枯れて、その姿が消えたことにすらしばらく気づかないような、そんな暮らしだったように思う。
 もしも、その庭先がたまたま通りかかっただけの場所だったなら、その花に気づいて、「あっ!」と一瞬思ったとしても、ただ通り過ぎただけだったろうな。そして、その日が終わらないうちに、そんな通りすがりの花のことなんか忘れている。

 とある、見知らぬ家の庭先で、きれいな花を見つけた。
 僕は、そこで立ち止まり、どうやら庭の持ち主に特別な許可をもらう必要はなさそうなので、できるだけ近づいてその花を見る。
 「ダリアだ」
 ここ最近、いろんな場面で見る機会があったので、たまたま知っていた花の名前だった。それでも、僕は、なんだかうれしい。自分がその花の名前を知っているということが、ことさら誇らしく思える。勿論、ダリアだという大雑把な名前を知っているだけで、おそらくあるであろう詳しい名前や学術名がどうなのかは知らない。きっとそんなものは何回繰り返し教えられても、覚えられない自信がある。
 でも、たとえば、誰かに話しかけるにしても、「えーと、ちょっと…」ではなく、「○○○さん、ちょっと…」って、苗字で呼びかけられるようなものだ。下の名前までは知らないけれど、苗字がわかってるとわかってないじゃ大違いだ。
 年齢を重ねてよかったと思うことがある。それを一概に歳をとったせいだと決めつけるのは安易かもしれないけれど、ある種の図々しさが身につくということは、今のところ僕は歳をとったせいだと思っている。
 繰り返して言うけれど、僕は、決して花に詳しいわけではないし、特段に花が好きなわけでも、興味があるわけでもない。
 だから、ひと昔以上前の僕の声が、こう呟くのが、聞こえる。
 (そんな人間が、意味ありげに立ち止まって、さも「何か」があるように、花を見てるんじゃないよ)
 そして、あれからひと昔以上年齢を重ねた僕は、昔の自分に言ってやる。
 「いいじゃないか、そんな花に詳しくもない人間が、立ち止まって花を見てたって。誰も、花を見ている僕のことなんか、見向きもしないさ」
 そんな自意識過剰な自分に縛られて身動きできないでいるよりも、素直にこの花の美しさを見ればいい。あの頃あると思っていた、花も見ずに足早に立ち去らねばならない理由なんて、実際のところ大した理由でもなかったことを、今の僕は知っているのだから。

 そして、次の機会、この庭先を通ることもないかもしれないし、その花が、来年はもう庭先にないかもしれない。
 なによりも、来年、この庭先に今年と同じようにダリアが美しく咲き誇ったとしても、僕がこの世にいないなら、それを見ることはかなわない。そのことを、歳を重ねた僕は、知っている。
 歳をとるのも悪くはないさという呟きも、負け惜しみばかりではないんだよ。

 - 雑感

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