深き海より、蒼き樹々の呟き

by 深海 蒼樹(ふかみ そうじゅ)

*

あらためて、書くことについて考えた

      2013/12/04

books

 さて、今日は何を書こうかなと思って、このブログにログインして、WordPressの投稿画面を見ていたら、投稿数がちょうど100になっていることに気づいた。
 ということは、今書いているこの投稿が、101本目の投稿ということになる。
 そう言われると、ん?って、なってしまう。
 というのも、100も書いた記憶がない。いや、書いたのかもしれないけれど、自信を持って書けたもの、自分の記憶に残っているものが、あまりにも少ない気がしてきた。
 誠にもって、お恥ずかしいかぎりだ。

 しかしながら、僕はおそらく、書くことをやめないと思う。少なくとも、それが当分の間だとしても。
 もしくは、書くことを、まだあきらめないだろう、と言うべきか。
 今回、気まぐれとでもいうべき軽はずみで、1ヶ月間、なんでもいいから、とにかく毎日ブログを更新することにした。
 意地でも書いてやろうという気負いと、そんなこと言ってもすぐに書けなくなって音を上げるだろうなという客観的自己分析と、毎日そのせめぎあいの中で、それでも2週間以上が過ぎ、そのうち、1日だけがどうしても書けなかったけれど、初期の目的は達成している。

 そして、僕は、素朴なことに気づいた。
 文章を書くということは、表現するということなのだ。
 それは、なにかを伝達するとか、今日の出来事を説明するとか、なにかについて解説するとか、感想を述べるとか、書く内容は様々なのだけれど、なんでわざわざブログまで作って書くのかと言えば、それは書くこと自体が表現であるからではないんだろうか?
 相変わらず、今更、って気はするけれど。そんなことに、思い当たったわけだ。

 絵でもなく、音でもなく、コードでもなく、プログラムでもなく、写真でもなく、僕は文章で表現したいのだ。
 『何を?』
 いや、なんでもいい。文章という道具を使って、僕は、表現をしたいのだ。
 言葉という道具を使って、表現したい世界があるのだ。
 それがまだまだうまくいってないのは、わかっている。ひとりよがりな、猫の額にも満たない、ほんの狭い世界でしかないことも。

 言葉によって、この世界を切り取りたいと言うべきか、言葉によって、世界を産み出したいというべきか、正直、どっちでもいい気がしてきた。
 言葉を使って表現するという行為に、僕は、今更ながら、わくわくしている。
 何度も繰り返し言い訳するけれど、それがうまくいってないのはよくわかっている。
 僕の言葉によって切り取られた世界のつまらなさも、僕の言葉によって生み出されたできそこないの世界についても。
 それでも、僕は、明日も書きつづけようと、思う。
 表現したいという気持ちが、僕にあるかぎり。

 

 - 日記みたいなもの

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