深き海より、蒼き樹々の呟き

by 深海 蒼樹(ふかみ そうじゅ)

*

ノルマではなく、僕は、理想を語れているだろうか?

   

 日記として始めたことなのだから、なんとか今日中に書ければいいんだけれど、今やっと仕事から帰ってきたところで、取り急ぎ、書いていくことにしよう。
 日記と銘打ったとは言え、そこまで慌てて書く必要もないだろうという思いと同時に、なぜかそんなことだけには、妙に律儀で生真面目な自分の、あまりに変りようのなさに呆れてもいる。

 日々の業務のなかで、それを、ノルマと呼ぶのか、目標と呼ぶのか、それとも理想と呼ぶのか、一概に決めつけることは難しいだろう。
 同じことが語られたとしても、それらの言葉が、どの人の口から出たかによっても、その意味合いや受け取り方は変わってしまうかもしれない。
 もしくは、語っている人は、ノルマとして語り、聞く人は、それを目標と受け取るかもしれない。そして、また、その逆もありうるわけだ。

 かくして、それは、ひどく難しいことではあるのだろう。
 僕が、いくら理想を語ろうとも、というよりは、僕が、いくら自分では理想を語っているつもりでいようとも、受け取る人たちは、それをノルマとして受け止めてしまうかもしれない。
 だとしたら、それは、僕の責任だ。僕に、なにかが足りないのだ。
 と、考えること、それもまた僕の理想だ。

 世間には、理想というとすぐに理想家だとか、空想家、できもしない夢みたいなことをただただ語る人みたいに断じる人々がいる。
 もしくは、理想じみたことを語ることは、自分にノルマを与えてしまうことになるので、敢えて、語らないという人々。
 そして、人にはノルマを語り、自らは、できなくてもいい理想だけを語る人々もいる。
 はて、僕は、どうなんだろう?

 僕は、理想を、語りたい。
 僕にとっての理想とは、みんなで実現化したい、今よりもいい現実である。
 勿論、その実現化のためには、面倒臭いことや、今のままならやらなくていいこともやらなければならない。
 でも、理想とするものがそこにあるなら、僕はそれを目指したいし、そこに向かって進んでいきたいと思う。

 それはノルマでもなく、目標であって目標でもなく、理想と呼ぶべきものである気がしてならない。
 そして、理想が語られていると実感できるからこそ、人々はそれに向かって、前向きに自らの足で進もうとするのではないのだろうか?

 ノルマとしてでもなく、目標でもなく、僕は理想を語れる人でありたいと思う。
 それもまた、今の僕の、まぎれもない、理想である。

 - 日記みたいなもの , ,

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