深き海より、蒼き樹々の呟き

by 深海 蒼樹(ふかみ そうじゅ)

*

ゼームス坂の思い出

      2013/10/09

J_M_James

 今朝、NHKの「日曜美術館」を見ていたら、不意打ちのように、懐かしい名前に出会った。
 それが、『ゼームス坂』だ。
 今日の番組は、彫刻家・高村光太郎の特集だった。彼の生涯を辿るなかで、その妻、智恵子が、南品川にあったゼームス坂病院に入院したと、紹介されたのだ。

 ゼームス坂。
 僕は、その妙な坂道の名前を知っているし、その坂道を知っている。

 はじめてその名前を目にしたのは、上京間もない頃だった。当時僕が務めていた会社は、東大井の池上通り沿いのマンションの一室にあった。ちなみに、その会社は、洋書を輸入販売する、とても大きな名前の、とても小さな会社だった。

 ある日、僕はなにかの用があって、車で第一京浜(国道15号線)に出ようと、池上通りではなく、JR大井町駅の西口を通りすぎ、仙台坂に向かっていた。
 西口を過ぎて、すぐのT字路になっている交差点に掲げられているのが、「ゼームス坂上」という地名標識だ。

 僕は、一瞬、考えた。
 これは、どう読むのが正しいのだろう?
 ゼームスさかがみ? ゼームスさかじょう? それとも、ゼームス坂の上という意味なのか?
 それにしても、いくら日本の首都であり、世界有数の都市である東京であったとしても、いきなり『ゼームス』って!

 まぁ、でも、ゼームスっていうのは、Jamesとかっていう人の名前のことなんだろうか? と、察しをつけた。
 察しはつけたものの、自信はなかった。なんせ、ここは東京なのだ。田舎から上京したての僕なんかには想像もつかない、もっと別のなにかがあるのかもしれない。
 とりあえずのところ、(誰やねん、お前?)と、
24年間、大阪の片田舎で育ち、初のひとり暮らしをはじめたばかりの僕は、大層面食らいながらも、心のなかで精一杯のツッコミを入れていた。

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 次の、休日。僕は、「ゼームス坂上」と書かれた交差点に立っていた。
 確かに、「坂」とついている通り、T字路から伸びる道は坂道になっていて、交差点を頂点にして、その先は下っていっていた。
 ということは、「ゼームス坂上(さかがみ)」と読むのではなくて、やはり、これは素直に「ゼームス坂」という、坂の名前ってことでいいのだろうか。
 その坂道を登り切ったところだから、「上」がついて、「ゼームス坂上(さかうえ)」という地名になっているのか。

 今回、この文章を書くために、グーグルマップを調べたり、ほかの人が書いている記事なんかを参考にさせてもらったりもした。それらによると、坂道の途中に、坂の名前の由来を書いた説明看板が立っているようなのだ。ただ、僕には、そんな看板の記憶がない。
 僕が、『ゼームス坂』の名前の由来を知ったのは、当時住んでいたアパートの近所にあった、品川歴史館に行ったときだと記憶している。

 品川歴史館は、品川の端っこにある。どれくらい端っこかと言えば、あと百歩も歩いて、鹿嶋神社の前を過ぎれば、そこは大森で、大田区に入ってしまうくらい端っこなのだ。
 ついでに書いておくと、大森に入ってすぐのあたりに、大森貝塚遺跡庭園がある。立派な名前がついているけれど、僕が訪れたときは、寂しい限りの場所だった。草も茂り放題で、大森ボウルのボーリング場の薄汚れた壁が見えるだけの、なんだここは?と言いたくなるくらいに、見捨てられたような場所だった。
 これが、日本史の教科書にあれだけ太字で書かれていた、大森貝塚のなれの果てなのか。
 いまでも、大森ボウルの壁にしがみついていた室外機の、きっと埃にまみれているであろう羽が回る音と、JRの線路を走って行く電車の喧騒のすぐ傍にありながらも、ぽっかりと置き忘れられた遺跡公園という空間の、なんとも言えない打ちひしがれた寂寥感を、思い出すことができる。
 すでに、歴史は、ここにはないのだと、僕は実感した。そして、遺跡公園なんていうのは、こういうものなのだということを、妙に納得したものだった。

 話を、『ゼームス坂』に戻そう。
 現在、坂道の途中に立っている看板には、こう書かれているようだ。

” もとは、浅間(さんげん)坂と呼ばれ、かなり急な坂道でした。片側は切り落としになっていて、崖の向こうには品川の海が間近に迫って見えたそうです。
 明治時代、この坂の途中に英国人のJ.M.ゼームスが住んでいたことから、ゼームス坂と呼ばれるようになりました。”

 なんだか、これだとゼームスという英国人の家がここにあったという理由だけで、ゼームスの名前がついたようにとられかねないように思える。
 僕が、品川歴史館で読んだ説明では、
 坂道はあまりにも急で登ることが難しく、時には崖から海に落ちたりと、人々が苦労していたところ、ゼームスが私財を投じて、その坂道をゆるやかで安全な坂道に改修してくれた。
と、書いてあったように思う。
 だから、『ゼームス坂』と、ゼームスへの感謝を込めて、人々はそう呼ぶようになったのだと。
 ついでに、坂道の名前として、個人の名前がついているケースは、少ないらしい。ましてや、カタカナの名前は、更に珍しいらしい。

 僕が、品川で暮らしたのは、1988年から1994年くらいのことだった。
 智恵子が精神病を患い、旧ゼームス邸の向かい側に位置していた『ゼームス坂病院』に入院していたのが、1935年から1938年。一度も退院することなく、この病院で亡くなっている。
 平成7年、その一角には、「レモン哀歌」という、詩集『智恵子抄』に収められた詩が掘られた詩碑が建てられ、智恵子の亡くなった10月5日は、「レモンの日」とされているらしい。
 そして、この坂道の、ある意味、主と言っていいゼームスが暮らしていたのは、1872年の頃であった。彼は、ずっと日本で暮らし、『ゼームス坂』という名前を残して、1908年、71歳でこの世を去っていった。墓は、山梨県の久遠寺にあるという。

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