深き海より、蒼き樹々の呟き

by 深海 蒼樹(ふかみ そうじゅ)

*

傘はあるけど…

      2013/09/10

水たまり

 今年の梅雨は、早々と梅雨入り宣言がされたにもかかわらず、雨が少なくて、楽しみにしていた紫陽花の花も、「今年はなかなか咲かないね」なんて言ってるあいだに、いつが見頃かわからないまま、その季節を終えようとしている感がある。紫陽花自身にしても、いつ咲いていいのかわからなかったのだろう。それぞれがそれぞれ、「今だ!」と思って咲いたものの、例年の一斉開花とはいかず、まわりとの呼吸がいまいち合わなくて、なんだかまばらな淋しい咲き方になってしまった。

 そんな梅雨だったのに、6月の終わり頃から、雨の日がつづいた。それは、1日中朝からずっと雨というわけではなくて、午前中は雨の気配すらない暑い日で、午後から急に暗雲が立ちこめて、翌朝まで断続的に雨がつづくといったものだった。
 今日も、わが家の裏山に茂った樹々の葉を叩く雨音が、風を通すために開けた窓から滑り込んで、僕の部屋を満たしている。

 あなたは、雨が好きだろうか?
 そして、僕は、どうだろう?

 まずは、好きか好きでないかの前に、僕は、雨が苦手だということを説明しておこう。
それは、降りしきる雨の音が、悲しい過去の情景を思い起こさせるとか、雨の匂いが、無性に僕を人恋しくさせて、薄いブランケットに包まれたときの、決して重みはないけれど、しっかりとある暖かみを求めてしまうといったものでもない。

 つまりは、こういうことだ。
 僕のこれまでの人生の中で、雨の日に、何度も何度も繰り返されてきた場面がある。
 それは、彼女とのデートの待ち合わせであったり、会社に出勤したときであったり、クライアントの会社を訪問したときであったり、ふと雨宿りに立ち寄ったお店であったりするのだけれど、大抵の場合、そこに居合わせた人々は、僕にこう言うのだ。
 『あら?傘をもってなかったんですね?』
 確かに、僕には、通勤鞄の中に常時折り畳み傘を忍ばせておくような几帳面さはない。どちらかと言えば、たとえ、鞄の中に折り畳み傘が入っていても、それを取り出して開くのが面倒だと考えるような人間かもしれない。しかし、最初から雨が降っている日には、僕は傘をさして外出する。しかも、僕が愛用している傘は、折り畳めない傘ではあるけれど、僕の180センチ近くの身長に合わせて、かなり大きめなものだ。

 または、別の場面の話をしよう。
 突然小雨が降り出した帰り道、僕は、ある女性とふたりだった。僕は、その人が、好きだった。そして、運よく、僕は、傘をもっていた。
 僕は、傘がかなり大きなことを彼女にもよくわかるように、まるでその大きさを誇示するように拡げたあと、
 『濡れるから、どうぞ』 と、紳士的に、かなり控えめに、相合い傘を申し出た。
 彼女は、しばらく、僕の顔と差し出された傘を下から見上げながら、なにかを我慢していた。そして、ついには我慢しきれなくて、ごめん、ごめんと言いながら、吹き出して笑った。
 僕と彼女のあいだに傘を差し出したまま、キョトンとしている僕に説明してくれた彼女の言葉はこうだった。
 『だって、あなたはひとりで傘をさしていても、いつもずぶ濡れになってるじゃない』
 そうだった、僕は、致命的と言っていいくらい、傘をさすのが苦手と言うか、ヘタなのだ。僕自身には、その自覚がないのだけれど、どうやらそういうことらしい。まわりの人が驚くくらい、とても傘をさしてきた人とは思えないくらいに、僕はいつもずぶ濡れになって現れて、彼らや彼女らを驚かせるらしい。

 スーツの肩口が、雨を吸い込んですっかり色が変わっていたり、ズボンの裾が雨で重たくなっていたり、メガネのレンズが雨の雫で隠れていたり、朝方洗面台の鏡の前であれこれ悩んでせっかくセットしたはずの髪が、すっかり濡れていたりする。
 しかし、僕自身は、自分の肩口なんか見えないし、気にもとめていないから、そこが冷たいと感じるまで、傘からはみ出した肩口が雨に打たれつづけていることにすら気づいていない。いや、肩口が傘からはみ出していることにすら、気づいていない。
 足元の水たまりにつっこまないようには気をつけているけれど、水たまりをよけて歩くその一歩一歩のあいだにも、ズボンの裾に雨が吸い込まれていっていることに気づいていない。
 メガネのレンズに雫がつくのはまだわかるけれど、傘からはみ出るほど長いわけではない僕の髪が雨に濡れる理由というか、メカニズムを、僕はいまだに理解できないし、想像もできないのだけれど、どうやら彼女の言うことが、正しいというか、事実らしい。

『だって、あなたはひとりで傘をさしていても、いつもずぶ濡れになってるじゃない』

 あの時の彼女は、傘をさすのが上手な相手を見つけられたんだろうか。

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